子規の四季(81) 2017年6月号
余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
衣の歳時記 (87) 2017年6月号
6月から7月にかけて薊に似た鮮やかな黄色の花を咲かせる「紅の花」。開花して数日すると赤味がさしてくる。花から口紅や染料、顔料を作り、種子は食用油となる重宝な植物である。「紅花」「紅粉花」「紅藍花」とも表記され、古名の「末摘花」と共に副季語。
枕草子のおもしろさを読む(1)2017年6月号
2017年6月1日 古典に学ぶ
「瞬間の物語」を鮮やかに描き出すのに優れていたのが、式部と同時代を生きた清少納言であろう。 清少納言は、歌を詠まない自由を見つけた。筆の赴くまま、感じたこと、思ったことを試みたのである。「散文詩」といわれるほど文学的に高められた随筆『枕草子』の誕生である。
はいかい漫遊漫歩(64)(65)2017年6月号
2017年6月1日 はいかい漫遊漫歩
芥川龍之介(俳号:我鬼)は、「芭蕉雑記」で〈 芭蕉は一巻の書も著はしたことはない。所謂芭蕉の七部集なるものも悉く門人の著はしたものである。〉と書く。指摘のとおり芭蕉には、自ら板行した句集、自ら執筆した俳論、俳書がない。「日本の古典の代表的な紀行文」と言われる「おくのほそ道(奥の細道)」ですら、芭蕉自身は公開する気がなかったという。
曾良を尋ねて (93) 2017年5月号
2017年5月1日 曾良を尋ねて
関所と番所の通過の苦労は、曾良が同行者としていかに心を砕いていたか、その経過と状況がよくわかる。「漸(やうやう)として関をこす」とあるが、その方法として〝袖の下を使った〟のではないか、という説が一般的だが、私は曾良が最後の切り札として公儀のお墨付きを見せたのではないかと思うのだが如何だろう。
自由時間 (48) 2017年5月号
2017年5月1日 自由時間
ライト・ヴァース(軽い詩)という詩のジャンルがある。ブリタニカによると、「第一に楽しませるために書かれていて、しばしばナンセンスと言葉遊びを使用する、ささやかで遊び心に満ちたテーマの詩。かなりの技術的能力、機知、洗練さ、そして優雅さを要するのが特徴で、いずれの西洋詩でも重要な部分を占める」ということである。 わが国では、それほど大きな流れを形成してはいないが、ライト・ヴァースを多く書いた詩人というと、まず天野忠の名前が浮かぶ。