子規の四季 『仰臥漫録』
池内けい吾
明治34年(1901)9月2日(月)。この日から、子規は『仰臥漫録』の執筆を始めた。執筆のきっかけは、寒川鼠骨に
よると「土佐の俳人から贈つて来た土佐半紙が大判物で質のよいものであつた所から、ふと斯うした手記を試みる気になられたものである」という。それ以前の日記『墨汁一滴』や『病牀六尺』などが新聞「日本」への掲載のために書かれたのに対し、公表を前提としない自身の赤裸々な心の
記録として書かれたのが『仰臥漫録』だったのだ。
また、あれほどの病苦の中で、ほぼすべてを自筆で書いていることにも注目したい。さらに、自在に描かれた挿絵や俳句が多いことも従来の日記にない特徴である。つまりこの半紙を綴じた冊子は、子規にとって画帖であり句帖でもあったのではないだろうか。
初日の記述は、こう始まっている。
明治三十四年九月二日 雨 蒸暑
庭前の景は棚に取付てぶら下りたるもの
夕顔二三本瓢二三本糸瓜四五本夕顔とも瓢ともつかぬ巾
着形の者四ツ五ツ
女郎花真盛鶏頭尺ヨリ尺四五寸のもの二十本許ばかり
その後に女郎花と鶏頭の絵があり、夕顔や糸瓜の句19句が記されている。注目すべきは、子規の旺盛な食欲と日々の献立の記録の詳細さだ。初日の献立は左記の通りである。
朝 粥四椀、ハゼノ佃煮、梅干砂糖ツケ
昼 粥四椀、鰹ノサシミ一人前、南瓜一皿、佃煮
夕 奈良茶飯四椀、ナマリ節、茄子一皿
此頃食ヒ過ギテ食後イツモ吐キカヘス
二時過牛乳一合ココア交テ
煎餅菓子パンナド十個許
昼飯後梨二ツ
夕飯後梨一ツ
献立の詳細な記録は、連日におよぶ。9月5日は、献立の後にこんな記述がある。
午前 陸(くが)妻君巴(ともえ)サントオシマサントヲツレテ来ル 陸氏 ノ持帰リタル朝鮮少女ノ服ヲ巴サンニ着セテ見セントナ
リ 服ハ立派ナリ 日本モ友禅ナドヤメテ此ヤウナモノニシタシ
芙蓉ヨリモ朝顔ヨリモウツクシク
この頁には、チマ・チョゴリを着た少女の姿が、紺・紫・黄などの彩色で画かれている。病床の子規を慰めるために、陸羯南夫人が巴・しま子の2人の娘を連れて、朝鮮服を見せに来たのである。
子規の大食は連日のように記録される。9月6日には間食に西瓜15切れ、8日の夕食には焼き鰯18尾を食した。
9月9日は新暦重陽の日。「便通及繃帯」の日課の記録で始まった日記は、病床の窓越しの映像と音声のメモに及ぶ。
糸瓜ノ花一ツ落ツ ○茶色ノ小キ蝶低キ鶏頭ニトマル○曇ル ○追込籠ノジャガタラ雀イツノ間ニカ籠ヲヌケテ糸瓜棚松ノ枝ナド飛ビメグルヲ 見ツケル ○隣家ノ手 風琴聞ユ ○ジャガタラ雀隣ノ庭ノ木ニ逃ゲル 家人籠ノ鉄網ヲ修理ス ○蟬ツクツクボーシノ声暑シ ○日照ル ○蜻蛉一ツ二ツ ○揚羽、山女郎或ハ去リ或ハ来ル ○梨ヲ食フ
さらに「病牀所見」として、庵の廊下の向こうにある手水鉢と秋海棠が画かれ、句が添えられている。
臥シテ見ル秋海棠ノ木末カナ
秋海棠朝顔ノ花ハ飽キ易キ
秋海棠ニ向ケル病ノ寐床カナ
9月14日午前2時頃、子規は激しい腹痛で目覚めた。
家人を呼び起こし便通あり 腹痛いよいよ烈しく苦痛堪へ難し この間下痢水射(ママ)三度許あり 絶叫号泣
隣家の医師を頼もうとしたが、旅行中だという。電話を借りて別の医師を呼ぶ。夜明けにやや痛みも鎮まった頃医師が来て、散薬と水薬を飲む。疲労烈しいなか、嚙んだり葡萄酒に入れたりして氷を食べ、さらに牛乳、ソップ、飴湯も。
9月20日には、妹・律への思いを綴った。
律ハ理屈ヅメノ女也 同感同情ノ無キ木石ノ如キ女也義務的ニ病人ヲ介抱スルコトハスレドモ同情的ニ病人ヲ慰ムルコトナシ 病人ノ命ズルコトハ何ニテモスレドモ婉曲ニ諷シタルコトナドハ少シモ分ラズ 例ヘバ「団子ガ食ヒタイナ」ト病人ハ連呼スレドモ彼ハソレヲ聞キナ
ガラ何トモ感ゼヌ也(中略)故ニ若シ食ヒタイト思フトキハ「団子買フテ来イ」ト直接ニ命令セザルベカラズ直接ニ命令スレバ彼ハ決シテ此命令ニ違背スルコトナカルベシ
翌9月21日にも、律についての記述は延々と続く。
律ハ強情也 人間ニ向ツテ冷淡也 特ニ男ニ向ツテ冷淡也 彼ハ到底配偶者トシテ世ニ立ツ能ハザルナリシカモ其事ガ原因トナリテ彼ハ終ニ兄ノ看病人トナリ了レリ
律は幼少期から、兄が近所の子にいじめられていると、石を投げ返して兄をかばうような気丈な性格であった。松山で最初は軍人、2度目は中学の教師に嫁いだが、兄の看病のために婚家を去って上京したのである。子規にとっての律は、「看護婦」であると同時に家事のすべてをこなす「お三どん」であり「一家の整理役」であり、子規の資料の出し入れや原稿の浄書まで担当する「秘書」でもあったのだ。
而シテ彼ハ看護婦ガ請求スルダケノ看護料ノ十分ノ一ダモ費サザル也 野菜ニテモ香ノ物ニテモ何ニテモ一品アラバ彼ノ食事ハ了ル也 肉ヤ肴ヲ買フテ自己ノ食料トナサンナドトハ夢ニモ思ハザルガ如シ 若シ一日ニテモ彼ナクバ一家ノ車ハソノ運転ヲトメルト同時ニ余ハ殆ド
生キテ居ラレザル也 故ニ余ハ自分ノ病ガ如何ヤウニ募ルトモ厭ハズ 只彼ニ病無キコトヲ祈レリ
子規は、眠っている間に枕元の冊子を律が読むことを考慮に入れながら律への感謝の思いを綴った、とも考えられる。
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