曾良を尋ねて (118) 乾佐知子
─ 『奥の細道』素龍本に関する一考察 ⑵─
芭蕉が生前兄半左衛門に譲ったはずの『おくのほそ道』の素龍本が、その後いかなる経緯をもって現在敦賀市の西村家に秘蔵されているか、ということは俳壇の人々に限らず万民の注視するところであろう。
一説に依ればこの清書本は、芭蕉の遺言によって去来に譲られたという。確かに結果的には去来に渡ったことは幸いであったと思われるが、そのいきさつは単純ではない。
元禄7年10月、大阪で病の床に伏した芭蕉は自ら余命を悟り、去来を枕元に呼び寄せた。そして以前から去来が『おくのほそ道』の写書を切望していたことから「兄の慰めにと置いて来たが」「汝、日ごろ此集の求ふかし」と言って清書本の写書を許した。ただし写した後は兄に返してやって欲しい、と言ったという。写書の許しを得て喜んだ去来は、芭蕉の没後その旨を手紙で半左衛門に告げた。事情を知った半左衛門は〝芭蕉本人の遺言であれば〟と去来に清書本を渡した。その時半左衛門としては当然原本が戻ってくるものと思っていたはずである。ところが返って来たのは元の素龍本ではなく去来の写したものであった。つまり去来が半左衛門にどのように伝えたかは分からないが、去来は自分が写した本に跋を草して原本の代わりに送ったのである。はたして半左衛門が内容さえ同じであれば、書体などは気にしない人物だったのか、あるいは残念に思ったかそれはわからない。この去来本は現在不明という。やがて、去来が半左衛門から託された本をもとに題簽や表紙もそっくりに模刻して京都の井筒屋から版行したのは、元禄12年とも15年ともいわれている。
この結果を芭蕉は充分計算しており、ゆえに去来に譲ったものと思われる。芭蕉は元禄4年落柿舎で『猿蓑』を編集し『嵯峨日記』を著している。その出版を手がけたのは、去来と縁のある大店の井筒屋であった。その井筒屋がこの貴重な芭蕉の本を見逃すはずはない。
したがって芭蕉は去来が本の出版に最適な人物であることを知っていた。それゆえ7月にわざわざ京に出向き、去来に『おくの細道』の存在を「かつかつほのめかし」ており、いずれは井筒屋から版行されることを見抜いていたと推察する。
しかし、芭蕉は今すぐ自分の手から去来に渡せば必ずや門人達の間で不平不満が出るであろう。その為に、あえて一旦兄に預けて兄の手から去来に写させるという方法を取ったと思われる。去来もその辺の事情は充分承知しており、芭蕉没後数年以上の歳月を経て出版する、という用心深さであった。
『おくのほそ道』の本来の目的は、公儀による内密の旅であったことから、本としてまとめ出版すること自体、当時としては大変危険な行為であり、強い覚悟と信念がなければできることではない。従って生前版行されることにより多くの関係者に迷惑が及ぶことを危惧した芭蕉は、去来に「出版はできるだけ先に延ばせ」と伝え、更には兄に譲けた素龍本はお前が持つようにと指示した可能性がある。全て正解であった。己の没後の世の流れまで洞察していた芭蕉のすごさといえよう。
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