アーカイブス
はいかい漫遊漫歩(204)(205)2023年4月号
2023年4月1日 アーカイブス
第25回H氏賞、第1回詩歌文学賞、第2回萩原朔太郎賞、第6回山本健吉賞など数多の受賞歴を持つ詩人、俳人の清水哲男さん(2022年3月、84歳没)は、1997年から2016年まで20年間、1日1句増殖のインターネットサイト『増殖する俳句歳時記』を運営。有名、無名俳人、文人俳詠みなどの多岐にわたる俳句を鑑賞、紹介してきた。
衣の歳時記 (93) 2017年12月号
赤子や幼児を背負ってその上から羽織るやや大きめの半纏の「ねんねこ」。子供を庇護し防寒を兼ねる。綿を入れて広袖にし、衽を付けて前を合わせる。今日ではほとんど目にすることはないが、懐かしい装いの一つである。副季語は「ねんねこ半纏」「負い半纏」「子守半纏」「亀の子半纏」。
衣の歳時記 (92) 2017年11月号
着物と襦袢の間に着る防寒用の「胴着」。大抵は真綿を薄く伸ばして綿入れに仕立てる。「胴衣」ともいう。素材は木綿、滑りの良い絹、縮緬など。黒の掛け襟を付けることもあった。胴着は江戸時代に作られたもので、用途によって色々な形になる。袖がなく、主に羽織の下に着ていたものが「袖無胴着」。「筒袖胴着」は袖が筒形で肌着として着用。真綿だけで作ったものは「負真綿」と呼ばれた。いずれも副季語である。
衣の歳時記 (91) 2017年10月号
秋になって着る服装の総称である「秋の服」。夏服の薄い素材や色合から、落ち着いた趣のものへと変わっていく。生地は保温性のある布が選ばれる。夏と冬の間に着る合着ともいわれ、着る期間はそれほど長くはない。副季語は「秋服」「秋の帷子」。
子規の四季(84) 2017年9月号
上に掲げたのは、松山市立子規記念博物館に「子規のペンネーム」として展示されている四十二の雅号。展示は子規の自筆を写真パネルにしたものだが、読み方についての問い合わせが多いということなので、上記にはふりがなを付した。 子規の初期の随筆『筆まかせ』(明治23年)に「雅号」という短文がある。その中で、子規は日本で雅号の多いのは滝沢馬琴、太田南畝、平賀源内の三人で、一人で十余の雅号を用いたと述べている。そして子規自身の雅号はといえば、この一文に登場するものだけで実に五十四にのぼっている。
衣の歳時記 (90) 2017年9月号
9月の1日から3日間、富山県八尾町で行われる「風の盆」。町中が仕事を休み、雪洞を灯し、夜を徹して「越中おわら節」を歌い踊る。盆踊でも神事でもない特異な情緒あふれる地域芸能である。副季語は「おわら祭」「八尾の廻り盆」。
衣の歳時記 (89) 2017年8月号
海やプールで泳ぐ時に着る「水着」。かつては木綿、毛織物、絹が使われたことがあったが、今はポリエステルなどの化学繊維のものが主流となっている。一般用と競泳用があり、女性用はとりわけカラフルで、デザインが豊富。副季語は「海水着」「海水帽」。
子規の四季(83) 2017年8月号
明治三十五年(1902)8月20日(水)晴。この日『病牀六尺』の連載が百回に達した。〈百日の月日は極めて短いものに相違ないが、それが予にとつては十年も過ぎたやうな感じがするのである〉と子規は記した。 この日の午後、子規が朝顔の写生をしているところへ、鈴木芒生、伊東牛歩の二人の俳人が訪れた。それからの出来事を、子規は8月24日の『病牀六尺』に恋愛小説を思わせる筆致で述べている。二人の俳人は孫生、快生の名で登場する。
子規の四季(82) 2017年7月号
明治三十五年(1902)7月1日。「日本」に連載中の『病牀六尺』が五十回に達した。この回の内容は、病者にとっての空間を考察したものである。 肺を病むものは肺の圧迫せられる事を恐れるので、広い海を見渡すと洵(まこと)に晴れ晴れといゝ心持がする が、千仞(せんじん)の断崖に囲まれたやうな山中の陰気な処には迚(とて)も長くは住んで居られない。
衣の歳時記 (88) 2017年7月号
夏の家庭着として親しまれている「甚平」。羽織ほどの丈で、前を着物合わせにして紐で結ぶ。木綿、麻、縮などで作り素肌に着る。老人や子供に向いている。副季語は「じんべ」「袖なし」。
子規の四季(81) 2017年6月号
余は今迄禅宗の所謂悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。