「晴耕集」3月号 感想                柚口満  

長居してをり小春日の妻の墓池内けい吾

 作者は愛妻家である。である、といってもかなり前に奥様を亡くされているのであるがこの欄では折にふれて奥様を詠み続けておられる。
 お住まいから近い所に墓所があるため足繁くお参りされる様子が伺える。
 暖かな小春日の一日、墓前で何を報告されたのか。お子様の事、お孫さんの成長の様子、ついつい長居をしてしまったという。感情を前面に出さない淡々とした詠み方がいつも心に響く。

去年今年生き甲斐一つあれば足る児玉真知子

 去年今年という季語は俳諧特有の季語である。広く知られるようになったのは昭和25年に高浜虚子が作った「去年今年貫く棒の如きもの」からだ。
 去年今年の傍題には去年、今年などもあるがやはり去年今年と続けると時の流れに深い感慨が生じるという事なのだろう。
 さてこの句、作者は去年今年という歳月の流れを繰り返し経験しての現在の心境を生き甲斐は一つあれば足りると実感する。いや生き甲斐がひとつあってよかった、ともとれる述懐が印象的だ。
 老境に身を置く我々にはよくわかる心境である。

地に着きて雪の吐息の治まれり小野誠一

草つらら草の吐息を閉ぢ込めて萩原空木

 自然界の寒さを詠んだ二句である。そして雪の吐息、草の吐息という対象物の息づかいを用いながらその本質を類想感のない感覚句にまとめた秀句である。
 小野さんの句は上空で生まれた雪は長い時間を風と共に漂い地上に着くまではその吐息が続いていた、と詠む。そして地面に着いたときにその吐息が治まったと感じた。一片の雪を生きものとした扱いが新鮮だ。
 萩原さんは草の氷柱を見て草の吐息が閉じ込められたと観察。しかし、こちらの吐息はお日様が昇るにつれて再び生き返る救いがある。

海鳴りに似しざわめきの初詣倉林美保

 皆さんは数千人、数万人のざわめきの音、声をお聞きになった経験がおありだろうか。わたしの経験だと満員の観衆を集めた野球場やサッカー場、コンサート、演劇等の劇場などがすぐに浮かんでくる。
 作者は初詣の大群衆に海鳴りに似たざわめきを感じたという。そのざわめきはスポーツや演劇を楽しむものとは違ったものだったのかもしれない。数万人の列の人達がお願い事をしながら待つその言葉にならない雑音はちょっと怖い感じでもある。

診察のマスクの医師の目を追ひぬ高野清風

 病院の医師と患者という関係を興味深く表した一句と思った。
 我々の歳になるとほとんどの人が大なり小なり病院通いが始まる。診察の時間を待つのが1,2時間。そして診察はごく短く済んでしまう。医師の説明、診断を聞き漏らすまいとする患者の呼吸、間合いが中七、下五に凝縮されている。
 マスク越しの表情はなかなか読めぬもの、病院通いが増えた私には良く理解できる句である。

煤払ひ終へて遺影を戻しけり坂﨑茂る子

 新年を迎えるために家屋の中や周りの煤払いする習慣は古くからあり12月13日と定められていたようだが最近はもっと年が詰まってから行なわれるようだ。
 さて、この句を読んで遺影という言葉に私は反応した。その昔、父や母の実家に行くと何代か前からの先祖の写真が横並びに天井近くに掲げられていた。薄暗い光のもとのそれは厳かなものだった。
 作者も実家の煤払いを手伝ったのかもしれない。元に収まった遺影は改めて自分の存在の確認にもなったことだろう。

年の暮急くほどに事捗らず杉原功一郎

 今月号(3月号)には年の暮や数え日、年用意など年末の忙しさを詠んだ句が沢山出句されていた。いずれも日常とは違う身辺の慌ただしさが表現されていて実感が伴っていた。
 掲句はそんな年末の多忙さを中七、下五で「急くほどに事捗らず」と一刀両断に説き伏せにかかっていて小気味いい。アメリカ映画の主題歌に「ケ・セラ・セラ」というのがあったが、なるようになるぐらいの気持ちでいいのでは、とも思ってしまう。

荒海の窓の曇りや鮟鱇鍋田村富子

 鮟鱇は見た目はグロテスクだが味はすこぶる美味しい。この句は都会の鮟鱇鍋屋でなく本場、茨城県あたりの海に近い野趣豊かな店が想像できる。
 鮟鱇は内臓が美味いといわれ七つ道具といわれる部分に人気が集まる。荒海の音と風が窓に吹きつけるなか、豪快に煮たてて食べる鮟鱇鍋、地元の酒もどんどんと進む。荒海の窓の曇りの設定がお見事だ。
 虚子の句に「鮟鱇鍋箸もぐらぐら煮ゆるなり」があるがこの鍋はあつあつで食べるのが一番だ