「晴耕集・雨読集」2月号 感想                柚口満  

帰る子に一間空けおき年暮るる山城やえ

 年の終わり、12月もおしつまった頃を年の暮という。各家では家の大掃除を終え、お正月の準備も万端整った様子が伺える。
 掲句も帰る予定の子供らの1家族のための部屋が用意され、昼間干しておいた数組みの布団も整いあとは客を待つだけの雰囲気である。
 普段は1人住まいである母親の子の帰郷を待つ嬉しさが滲みでる一句である。すぐ来るお正月の楽しい団欒風景がみえるようだ。

三井寺の鐘聞く小春日和かな飯田眞理子
急く心いつしか失せてゐる小春実川恵子

 冬の時候に属する小春、つくづくいい季語だと感心する。傍題の小春日和、小六月、小春凪等々、春に接頭語の「小」をつけて穏やかな冬日和、陽気を季語として表した人に敬意を表したい。
   眞理子さんの句は滋賀の大津の三井寺の鐘を聴いての一句、小春日和の琵琶湖畔に届いた鐘の音だろうか。鐘だけでなく言外にある近江の舞台が忬情を増す役を果たしている。
 恵子さんの句は、小春という穏やかな気候が自分自身の内面に何をもたらしたか、を詠む。さっきから急きたてられていた心がいつの間にか安らかに変化したという。小春という気候は有形無形に人々を幸せにするのだ。

音よりも先に時雨の来たりけり沖山志朴

 自分が近江育ちで京都や奈良、北陸の時雨に馴染んできたせいか時雨の句に出会うとその特徴を的確に捉えた作品についつい目がいってしまう。
 晴れていても黒い雲が現れパラパラと降る雨、そしてさっとあがる。そんな局地的な通り雨が時雨だ。
 この句は時雨の状態を、音よりも先にと印象第一に把握したのが見事だ。同時出句の「連山を一つづつ消し時雨来る」も盆地の地形が見えるようで面白い。

一日を二人で終はる木の葉髪窪田明

 我々の年齢になると、子供たちが独立し他で所帯を持ったりして夫婦2人だけの生活を営んでおられる方々も多いものと思われる。
 初冬にかけて抜け毛が目立つようになり、落ちる木の葉になぞらえた木の葉髪という表現、侘しいものがある反面句のように木の葉髪同士という親しみの側面も見えてくる。
 上五から中七にかけての「一日を二人で終はる」の措辞が見事で。松本たかしの「一つ櫛使う夫婦の木の葉髪」を思い出した。

麦蒔きて畝の落ち着く夜の雨大塚禎子

 初冬の麦蒔きを詠んだ一句である。作者は伊予の方だから11月中旬ごろの作業になるのだろうか。本格的な寒さを迎える前の仕事である。
 その仕事を終えた夜の感慨を句にした掲句、その日の夜の雨で麦の畝がこれで落ち着いたと安堵した。種をまいた夜の雨、そのタイミングの良さにも感謝である。同時に出句された「冬ぬくし果樹の根元に土寄せて」の句にもあるようにお年を召されても大忙しの禎子さんである。

踏ん張りて抜く大根の重さかな八木岡博江

 大根の収穫を大根引きという。大根は四季折々に栽培されるようだが味の良い冬が季語とされる。牛蒡などの穫り入れは掘るというが、腰を入れて全身の力で引き抜くというのは大根の特徴だ。
 その収穫の大変さ、充実感を詠んだのがこの句である。最後に引き抜いた大振りの大根の重さが伝わってきた。

ひとひらに人ごゑ集め返り花飯牟礼恵美子

 俳人は帰り花という季語が好きなようである。初冬の小春日和の陽気に躑躅などが季節外れに咲いているさまは儚い趣を呈する。
 吟行の場面であろうか。仲間が帰り花を見つけ同行の皆に知らせてあれこれと声が飛んでいる。花の盛りを知るだけに心に引かれるものがあったのだろう。

枯れきつて威容を正す槻大樹髙橋喜子

 欅の古名を槻(つき)という。欅は落葉広葉樹の代表的な巨木で山林だけでなく神社や公園でも馴染み深い木でもある。春の芽吹き、夏の緑陰、秋の紅葉の素晴らしさに加え冬の木立の威厳ある雰囲気も捨て難い。冬の青空のもと、葉の散り尽くした梢が末広がりに伸びる光景はまさに威容を正す、そのものだ。

千年の銀杏黄葉の空深し福田初枝

 作者は足利の方、この句を読んでこの大銀杏は鑁阿寺(ばんなじ)の大銀杏だととっさに気が付いた。先年佐野の皆さんと吟行をしたからだ。鎌倉時代に建立された寺の境内には高さ32メートル、幹回り8メートルの銀杏がその威容を誇る。紺碧の空に他を圧倒する銀杏黄葉の黄色が鮮烈である。