「晴耕集」5月号 感想                     柚口満  

蜷の影どこにもあらず蜷の道堀井より子

 蜷も蜷の道も俳句という世界に入っていなければあまり関心を持たなかったかもしれない。そういった意味では歳時記に出会い様々なことを知ったことは幸せなことだった。
 さて、蜷の道という田や川に作る蜷の歩行のあとの模様に俳人は大いに興味をもち詠んできた。しかし掲句にあるように実際の蜷に出くわすことはほとんどない。その辺の不思議さを素直に吐露し、読む人にも共感を与えた一句である。

子の寝息ほどの風あり紋黄蝶 古市文子

 夏の蝶とちがい春の蝶はおおむね小形のものが多く紋白蝶や紋黄蝶は割合早くから見られるものである。早春の時期に出会う蝶を見つけるとその初々しさに心が洗われる気持ちになる。
 この句は上五から中七のにかけての比喩が巧みで的確である。鮮やかな黄色を誇る紋黄蝶を幼子の寝息のような風が優しく包みこむ。春がきた喜びを紋黄蝶とともに分け合う作者の姿がみえる。

雪吊を解かるる松のひとゆらぎ奈良英子

 雪囲とる、の傍題に雪吊解くがある。雪吊は雪国の冬構えとして庭木などの枝が雪の重みで折れるのを防ぐために縄などで補強をするものだが、雪が消えると縄が解かれ束縛を強いられていた多くの枝が解放されるのだ。
 その現場を見ていた作者は縄の緩む瞬間の枝の揺らぎを見逃さなかった。十重二十重に縛られていた枝の揺れは枝自体の喜びを表すが目撃した人にも心のかろやかさを与えたのだ。

春の野を行く満員の縄電車中川晴美

 この句、春の野を行く満員の電車かな、では平凡な一句で終わるが下五の縄電車で俄然引き立った。上から読んできて縄電車と来た時にすべての景が鮮やかに躍り出たのである。
 時は春爛漫の季節、空には雲雀が鳴き、野原には菜の花や蓮華の咲き乱れる畦道を子供たちの縄電車がやってきた。それも10人を超す満員の電車である。掛け声も男の児、女の児の声が混じり合い微笑ましいかぎり。夏、秋、冬でなくて春の季節がいい。

角打ちに野焼のあとの漢たち深川知子
深く野の気を吸うてより野火付ける望月澄子

 4月号には早春の風物誌である野焼の俳句がいくつか見られたが二句採らせてもらった。
 知子さんは野焼そのものでなく、終わったあとの男たちの姿を詠んで面白い句が出来上がった。角打ちというのは居酒屋でなく酒屋さんの隅に集まって酒を楽しむこと、野焼きという大仕事をやり遂げた連中には馴染みの酒屋の冷えた酒がこの上もなく美味かった。
 一方澄子さんの句は野火を付けるまえの野焼き衆の姿勢に注目した。
 野火は人間が思うより複雑な火の勢いで荒れ狂う。野の空気を胸に一杯吸い込み瞬時に備えやおら火を点けた。両句とも類想を避けた視点の良さに注目した。

浅利飯搔つ込む肩に鉋屑田野倉和世

 東京・深川の浅利飯は江戸時代からの名物として知られている。飯に焚き込むほか酒蒸しや佃煮や浅利汁など用途が広い。
 この句は深川あたりの昼めし屋の風景である。肩に鉋屑をつけた客が数人、そそくさと浅利飯を腹に詰め込んでいる様子がありありと見えて来る。
 搔っ込む、という動詞は搔き込むの音便で、この句を引き立てる役に寄与している。江戸っ子の棟梁の早飯に付き合っている職人にはゆっくりと浅利飯を味わう時間がない。

海明けや出船の汽笛ひびき合ふ大西裕

 海明けという季語はあまり馴染みがないが多くの歳時記には流氷の傍題に入っている。1月中旬に北海道のオホーツク沿岸に接岸した流氷は3月中旬頃に氷域が最大となり同下旬ごろからひびが入り始め沖へ流れ出すのである。そして船が航行できると判断された日を海明けと呼ぶのだそうだ。ひとつ勉強をさせてもらった。
 海明けの日は待ちに待った喜びの日、船に関係する人に限らず旅行関係者、町中の人々は春の到来を喜び合い、出船は汽笛を交わし合いこの日を祝う。

きさらぎの藪のどこかに水のおと鈴木幾子

 リズムよく平易にそしてやさしく詠まれた一句で、読後、穏やかになるような佳句である。
 具体的にいうと一句に使われている漢字は「藪」と「水」だけ、あとは「きさらぎ」に代表される平仮名が効果的だ。「どこかに」と場所を模糊にしたのもよかった。大上段に振りかぶる詠みぶりではないが仲春の竹藪のどこからか聞こえてくる水の音が印象的で心が鎮まる句柄に感心した。