烏羽玉の黒きを潜め椿の実 高木良多
「晴耕集・雨読集」十月号 感想 柚口満
石鍋みさ代さんが春耕に入られたのは昭和五十三年頃だから私とほぼ同時期だったと記憶している。爾来結社の女性作家としてその地位を揺るぎないものとされている。
長く俳句をやっているとその作品が停滞するものであるが、彼女の作品をみていると尚も進化に向けての向上心が伺がわれ嬉しい気持ちにもなる。
さて掲句はあめんぼうの一句である。水面に気儘にあそぶ水馬、そこへ雨が降りだし水輪が広がる中に水馬がまぎれてしまったという。掲句には雨脚の変化や水面の動と静といった様子が的確に表現されている。力を抜いた句の詠み方は年季を重ねた賜物といえようか。
熱帯夜灯を消し風の道を知る 山城やえ
年季のはいった俳人といえばこの句の作者、山城やえさんも超ベテランの域に入る人である。
この句は比較的新しい「熱帯夜」という季語を用いた一句である。熱帯夜は最低気温が二十五度以上の夜をいい、この指標が示されたのは近代にはいってからのことで昔の句には出てこない。
暑く寝苦しい夜に作者は部屋の灯りを消して窓の風を入れてみところ、気が付かなかった風の道を実感したというのだ。暗くしたことで見えた「風の道」が新鮮だ。
教室に樟脳の香や更衣 福田町子
遥か昔の回想句であろうか。「樟脳」という懐かしい呼び方が昔のあらゆる出来事を喚起させるのに役立っていることに気がつく一句である。
その昔は、日を決めて学校や職場で制服などを夏物に替える風習があった。衣がえである。私などは小さい頃、昨日と違う服を着るのが嫌で尻込みをした思い出が残っている。
衣替えの朝の教室は樟脳の匂いがかすかに香り立ち、先生も生徒も改めてその日を実感したのだ。樟脳の香りは着るものに目を配る母親の愛情の証しだったのかもしれない。
蓮の華四日の命をそれぞれに 武田禪次
蓮の花は「濁りにしまぬ花はちす」と譬えられる通り孤高の雰囲気を湛える姿を持つ。しかし、この花、咲いているのは僅か四日間と短命で、この句もそれを「四日の命」と詠む。
その四日を簡単に説明すると、開花初日の早朝に蕾が半開きになるが、また蕾に戻る。二日目、七時から九時頃にかけて満開となり最も美しい時を迎え、やさしい香りを湛える。三日目は最大に開くが受粉で雌蕊が黒ずむ。そして四日目には朝から散りはじめ、お昼ごろには花弁のすべてが散ってしまう。
作者はこの蓮の四日間を観察し、それぞれの日々の美しさに感銘を受けている。蓮は涅槃の境地を目指す具現の花ともいわれるが、四日間の姿にも味わい深い所以がある。
夜の秋やオン・ザ・ロックの氷鳴る 伊藤洋
「夜の秋」は晩夏の季語、「秋の夜」は秋の季語。使い方に注意を要する
真夏の暑さが嘘のように退き、秋を思わせる涼味が感じられる夜の静かな時間。ジャズの音楽に耳を委ねオンザロックを傾ける作者がいる。飲み物の氷は冷蔵顔の製氷機のものでは駄目だ。気泡の入っていない硬質な本格的なものが必要。で、ないと氷は鳴らないのである。グラスに響く氷の解ける音に過ぎ行く夏を惜しむ風情。
半夏雨妣の裁ち台文机に 髙橋千恵
半夏生の傍題に半夏雨がある。七十二候の一つ、半夏生は陽暦の七月二、三日頃に当たり植物の半夏草、すなわち烏柄杓が生えるのでこう呼ばれる。この時期に降る雨が半夏雨。
妣(はは)は亡くなった母を指す漢字であるが、その母上が生前に使われていた布地を裁断する裁ち台がいまはこの句の作者の文机になっているという。作者の幼いころにはこの裁ち台で洋服を作ってもらったのかもしれない。そんな思い出深い台の上で今は俳句を作っている。外では農作業が一段落した時に降る半夏雨が静かに降り続く。季語が動かない。
西日中街のネオンが動き出す 大西裕
俳句を作る時にどんな光景、どんな事象を取り上げるかに悩むことがあるが、掲句はちょっとどうかと思われる風景を描いて、それでいて成功している好例ではなかろうか。
都会の繁華街、たとえば東京は新宿の歌舞伎町あたりの一風景を想像した。暑い一日も終わりに近づき、街は強い西日に覆われている。そんな街並みには早くも原色のネオンが勢いよく動き出す。夜の町特有の飲食店、ゲームセンター等のネオンだ。これより深夜、あるいは明け方までエネルギッシュな街が覚醒してゆく。喧騒への序章を西日を使ってうまく表現した一句。
朝曇港は小舟より覚むる 実川恵子
夏の季語「朝曇」の本意は以下のようだと考える。一言でいえばその日一日の猛暑、炎暑への予感である。眠れない熱帯夜が明けた朝のどんより靄のかかったような曇り空、八時過ぎには太陽が照りつける。
さて掲句は港の朝曇りを詠んでいる。大きな船、小さな舟が混在する港は小さな舟から生活が始まる。そして徐々に大型の船の往来へと賑わってゆくのである。
朝曇という季語を配して、それ以降の港の活況までもが見えてくるようだ。
敏捷に跳ねて細身の囮鮎 中道千代江
田舎に住んでいる頃は鮎の友釣りに夢中になったことがある。友釣りというのは鮎の縄張り争いの習性を利用したもので、鮎掛鉤につないだ囮鮎を水に放し、攻撃にきた鮎を他の鉤でひっかけ釣るのである。
友釣りで学んだことは囮の重要性であった。勢いのある攻撃的で元気な囮の確保が決め手であった。
この句はその囮鮎のよさを見事に言い当てている。細身で敏捷性があれば鬼に金棒、仲間の鮎を大いに挑発して大きな釣果が得られたのである。
毎年どこかに出かけて蛍を見るが今年は佐渡で初蛍に遭遇した。里の社の薪能を見ての帰り、流れる小川に自分の火を川面に追う蛍が印象的であった。
この句もそんな情景であったのかもしれない。数匹の蛍が飛び交い、その光が水面に映るさまは幻想的、水の匂いまでもが心地よかった。
蜩は朝も夕方も鳴くが、この声は夕方のそれであろうか。蜩の声は蟬のなかでももっとも美しいとされ、それは哀愁的ですらある。
しかしこの句は、蜩の鳴き比べの様相である。その声は重なりあってまるでうねっているようだったと詠む。句づくりにおいて過度の固定観念は拭い去るべき、ということを教えてもらった。そういえば金子兜太に「たつぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし」という句があった。
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