初秋刀魚明日入院の老にかな 川澄祐勝

裏門のかたき鉄扉や蟬時雨 高木良多

 

「晴耕集・雨読集」九月号 感想  柚口満

 

鮴汁や犀星の川暮れ初めて 伊藤伊那男

鮴(ごり)という魚、詳しくいうとこの呼び方は地方名では何種類かがあるが一般的にはカジカ科とハゼ科のものを一緒にして呼んでいるところが多いらしい。

  この鮴、北陸は金沢の郷土料理には欠かせないものであるが、最近は漁獲高が激減して結構高級料理の部に入るという。金沢に遊んだ作者は犀川の畔に宿をとり暮れゆく古都の空の下、白味噌仕立ての鮴汁に舌鼓をうった。文豪室生犀星を育てた犀川のせせらぎは旅愁を誘うに十分な舞台である。

夏めくや昭和の匂ふ銀座裏 升本行洋

タレントのタモリが全国各地を訪れ独特の視点でその場所を案内、解説する「ブラタモリ」という番組が好評を得ているようだ。掲句を読んでこの番組が忘れ去られた銀座を探訪していたのを思い出した。

 この句でいう「昭和の匂ふ」とはどんな所であろうか。例えば八丁目にある金春湯は創業は江戸という湯屋、そして裏町の極細の路地にあるお稲荷さん、そうそう昭和六年創業というキャバレー(クラブ?)などを思う。夏に入ると製氷屋さんも活気づく。夏めくの季語に懐かしい昭和の銀座裏の息づかい聞こえるようだ。

箱庭に母の好みの陶椅子を 蟇目良雨

丹の鳥居置きて箱庭完成す 乾佐知子

箱庭に叶はぬ夢の庵置く 杉阪大和

夏の季語である「箱庭」、俳人はこの季語を好み俳句にとりあげる。箱庭は木の箱に土を盛り、山河などの自然の風景を取り込み、その中に作者の好みのもの、たとえば橋をかけたり、人物を配したりともろもろの小道具を置き楽しむのである。
ここに三人の箱庭の句をあげてみた。三人三様の特徴のある句群である。こうしてみるとその箱庭に何を置くかでその作者の思い入れみたいなものが滲み出ていて興味がつきない。
蟇目さんは箱庭に陶椅子を置いてみたいという。たんなるそれでなくお母さんの好んでいた陶椅子だという。なにか謂れがあるのであろう。読む人を立ち止まらせる表現の妙。
乾さんの箱庭はどこかの神域を模したものだろうか。仕上げに赤い鳥居を据えて完成したと詠む。色彩の少ない箱庭に赤い鳥居が目立つ。
他方、杉阪さんは自分で叶わないものを箱庭に託した。それは何と自分の庵を作ってみた、というのである。芭蕉庵を模して作り、傍の大川まで作ったのかもしれない。

 箱庭というもの、最近こそ作る人が少なくなったが、こうした好きな夢を見ながら遊ぶのも一興である。実際に作ってみれば面白い発見があり、類想のない俳句ができそうだ。

夏芝へ火の粉散りつぐ薪能 岡村優子

今年の六月中旬に行われた春耕・あきつ佐渡吟行会で詠まれた作品である。この薪能は佐渡市新穂潟上の牛尾神社例祭の宵宮奉納として行われたものだ。
昼間飛んでいた朱鷺が塒につき森に鬱蒼とした闇が降りると朱の袴の巫女さんが薪に火を点火する。そして幻想的な灯りの中で始まったのがシテ齋藤美千枝さん演ずる「乱」であった。

 作者は篝火の火の粉に注目している。爆ぜる火の粉がパチパチと青い芝生に散り続く幻想的な世界、後ろの闇には桶と柄杓を持ち火の粉を鎮める黒子が控える。舞台の素晴らしいのは勿論だが、薪能という全体の雰囲気を夏の芝と篝の火の粉に焦点をあて美しく詠みあげた作品である

引きぬきし草また根付く梅雨じめり 島田ヤス

最近の気象現象には従来の形では説明のつかない突発的なものが多く、各地に多発する水害に胸を痛める日々である。
さてこの句は梅雨のころの事象に目をむけ作られたものである。自宅の庭での嘱目吟であろうか。二、三日前に引き抜いた草が、今日見てみればすっかりと再び根付いていたというのだ。

 作者は梅雨じめりを逃さず懸命に生き返ろうとする雑草の生命力に感嘆する一方、せっかくおわった仕事が徒労に帰したことに残念さも感じているのであろう。

夜店の灯とぎれし闇の深さかな 山﨑赤秋

夜店、夜店の灯はいつの時代になっても郷愁をよぶなにかをもっている。夜店は普通、夏の夜の神社仏閣の縁日にたち境内や参道には露店がところ狭しと並ぶ。たこ焼きや焼きそばなどの食べ物、金魚掬いや甲虫、ヒヨコ類の小動物売り、数えあげればきりがない売店の数々。また、夜店のあかりはいま流行のLEDはそぐわない。暖色系の色、または裸電球がその一点を照らすのが雰囲気を醸し出す。夜店の灯はその辺りだけを照らすのがいいのである。

 さてこの句はひとしきり夜店に遊んだあとの感慨を句にしたもの、煌々とした世界をあとにした闇はことのほか深かったという。それは明るさのみならず喧騒も、また自分自身の昂ぶりも静まったということかもしれない。

十人の家族の昭和蛍の夜 斎藤耕次郎

蛍は昔から詩歌の文芸によく詠まれてきた。しかしその蛍の数は年を経るごとに減少の一途をたどり、都会でみることはまず困難な状態である。

 この句も蛍が沢山群れをなして飛び交っていた昔を回想しての一句である。一時代前の昭和の時代は三世代も同居する家族は当たり前で、夜の帳が降りると十人の一家が揃って蛍を楽しんだのである。老いも若きも、そして幼子までもが一緒に愛でた蛍の夜、昭和は遥かな昔になりつつある。

カーテンの裾の重たき梅雨に入る 石田瑞子

梅雨入りの感覚をどういう事象を捉えて表現するかは人それぞれである。しかしその事象が当たり前ではどこかで読んだ句、すなわち類想句になってしまう。

 その点、この句の上五から中七にかけての「カーテンの裾の重たき」という表現はお手柄である。カーテンの開け閉めは日常の行為であるがそれが重たいと感じ梅雨入りを実感した、このような感性を持ち続けることが作句の要である。

燕の子地震に耐へし家の梁 黒田幸子

この原稿を書いているときに阿蘇山の爆発的噴火のニュースに遭遇した。先の熊本大地震に続く追い打ちをかけるような自然災害に、当地の人達のご苦労を思う。

 さてこの句は、四月の熊本地震のあとに詠まれた句、作者の住まいは近くの玉名市、少なからずの被害があったと思うのだが、今年も燕は時期を違えずやってきて巣を作り、子燕が生まれた。大きな地震に耐えた家、そんな状況で生まれた小さな命はささやかな希望の星である。

天地の静けさあつめ梅雨の月 鈴木幾子

梅雨のさなかの月を詠んでいるが、梅雨という鬱陶しい季節が嘘のような美しく、静謐感に富んだ一句である。

 梅雨の中休みであろうか。今宵は湿気も少なく雲もなくあめつちが息を呑むような静かな夜を迎えた。東の空からは黄色く丸い月がゆっくりと昇り始める。雲間に見え隠れする梅雨の月もあるが、ここは天地を鎮めるような雨に洗われたあとの月と解したいが如何であろう。