蝌蚪の紐一級河川程久保川に川澄祐勝
皿に盛り縞美しや冬林檎高木良多
(高木良多顧問は2月12日逝去されました)
「晴耕集・雨読集」2月号 感想 柚口満
天上の師と話したき小春日よ山田春生
作者は最近とみに先師の皆川盤水について思慕の念を強く抱いているようだ。春耕の創刊五十周年記念号での「わが師盤水先生」でも「このところ何かにつけ先師のことを思い出す。初学時代から師に可愛がってもらい、師との思い出が多くあるからである」と述べている。
小春の日差しのなかに師ともう一度話したいという切ない、しかし叶わない願望がこの句には流れる。小春日よの「よ」のよびかけとも詠嘆ともとれる助詞が有効的だ。
寒蘭の咲きつぐ朝永眠す升本榮子
このところ春耕の大切な人たちの訃報が続き胸をいためる日々が続く。この作者の夫君、升本行洋さんも昨年11月20日に鬼籍に入られた。九十二歳であった。
つらいお別れのあしたの様子を一句にしたためられた。この寒蘭は鑑賞用のものであろう。故人が日頃日当たりのいい場所で手塩にかけられたその寒蘭が可憐な花を咲かせ続け、清らかな香りを放つ。初冬に健気に咲く寒蘭が印象的だ。
青きもの青く茹で上ぐ今朝の冬児玉真知子
立冬を迎えた朝の厨で主婦が実感したことを一句にしたためた、そんな光景が先ず脳裏に去来した。青い野菜は何であろう。菜っ葉の類であろうか。小松菜、白菜、ほうれん草、水菜、春菊といったところだろう。
上五から中七にかけてのたたみかける表現が印象的だ。つまりもとの青さよりも茹でることによってもっと青さが鮮やかになったということだろう。細見綾子の「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」の句が浮かんできた。
短日を使ひきつたる庭師かな吉田初江
この句の眼目は中七の「使ひきつたる」という捉え方であろう。よくいわれるが冬至の日の東京は日の出から日没までの時間が九時間四十五分ともいわれ北の札幌ではたった九時間だという。
掲句にある庭師はその短い時間の中で朝から夕方まで庭の手入れに没頭したのであろう。使ひきつたる、に庭師の仕事の充実ぶりがみえるのである。
見詰めゐし鳰が潜つてしまひけり岩田諒
一読すると目の前の鳰が潜ってしまいました、とだけしかいっていないのだがよく鑑賞してみるとこれがなかなか味のある句であることに気がつく。
つまりこの句からは作者の鳰の潜るまでの前後の行動というか、心の在り方といったものが想像できるのである。潜る前の生態、潜る刹那の体勢、いつ、どこに浮かび上がるという期待と不安と残心、そんなものがないまぜになって大きな句柄ができあがった。
野兎の一瞬棒のごとく跳ぶ杉阪大和
田舎に住んでいた小さいころ、小学校総出で兎狩りをした思い出がある。重い重い網を運んで山裾にめぐらし上級生が山の上から叫び声をあげて追い込むという手はずであったが収穫は少なかった。
そんな時に逃げる兎のさまはまさに掲句のままであった。実際に見た偽りのない眼の確かさは絶対の迫力で読む人に伝わる。跳躍が極限に達した時の兎は頭、前足、胴体、後足まで一直線の棒のようになる。「ごとく俳句」の信憑性がこの句にはある。
ひときはの冬星あれはみどりさん武井まゆみ
昨年11月25日に同人の前川みどりさんが急逝された。事務局長の私の補佐役として裏方の仕事を完璧にこなしてくれたご苦労に只々感謝をしている。
作者もその突然の逝去に驚いたに違いない。冬の夜空の一番輝く星を彼女に見立てて、多大に貢献したその功績称えて凍てつく夜空の元で静かにお別れをした。素直な詠みかたがかえって悲しみを増幅させる。
彼女の追悼句として波朗主宰は「榾火継ぎ諏訪の事々夜更けまで」蟇目編集長は「そこにゐる筈がゐずなる寒さかな」と詠み哀悼の意を表された。
風よりも静かに過ぎぬ夕時雨鏡原敏江
時雨という季語を好んで使い句を作る人は多いが、私は本場のすなわち京や近江、金沢などのものを詠むのが本筋だと考えている。
この句の作者もたしか近江の人だと聞いたから本物の時雨を知っている。少し向うは日が当たっていてもこちらはしぐれ、逆に上がると近くの山並みが薄く雨にけぶる。風よりも静かに過ぎぬ、にその夕時雨の特徴をよく捉えた。
濡れ株の乾かぬ日射晩稲刈小島正
稲の品種には早稲、中稲(なかて)晩稲(おくて)がある。普段食べているお米は中稲がほとんどであるが、掲句の晩稲は晩秋の遅い時期の品種になる。
「濡れ株の乾かぬ日射」に押し詰まった秋の気候が想像され秋雨に濡れた株には心が急かされる思いが投影されているようにもみえる。農業に携わる作者だけにその季語の本意を的確に表現した一句となっている。
まだ眼動いてをりぬ鵙の贄後藤綾子
生々しい鵙の贄を描いた俳句である。肉食の鵙は蛙や蜥蜴、鼠などの小さな動物を木の枝に刺しておき後で餌とするのであるが往々にしてこれを置き忘れることがある。
この句の贄も鵙が刺したばかりのものであろう。何の動物かはわからないが、その眼がまだ動いていたと詠む。実にリアルな表現だ。動物の生存競争の一端を垣間見た思い。
掃かずおく庭の彩り柿落葉杉原功一郎
柿の若葉も美しいが初冬の頃の落葉も美しい。赤い落葉の、それも虫の喰っていない葉などを見つけると、思わず拾って俳句の手帳に挟み込んだりする。また、赤だけでなく、その色彩の多彩さにも妙がありその織りなす曼陀羅模様に息を呑むこともある。こんな美しいものを掃くのはもったいないと掃く箒の手を止める作者の審美眼に拍手を送ろう。
山茶花のひたすら散つて盛りなり髙島和子
初冬の寂しい景色のなかで白や淡紅色の五弁の花をつける山茶花の花は印象的で、咲いては散り続けるそのさびた様子を古今東西の人達は好んできた。
この句もその咲き方、散り方を的確に観察して作られた句、「ひたすら散って」と詠んで、一転して「盛りなり」と結んだ表現は見事である。一句に流れるようなリズムもある。
手袋を脱ぎて手を振る別れかな永江としこ
冬の季語、手袋の本来の本意は外出時に手や指を外気の寒さから守るために用いるものである。しかし、この句はそんな本意を無視して新たな視点で詠まれていることに魅力を感じる。どんな別れかは分からないが寒い中で手袋を脱いだままでいつまでも手を振る別れ、詳しいことを述べなくとも省略の俳句は想像を膨らませてくれる。
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