若楓寺山覆ひつくしけり川澄祐勝

「晴耕集・雨読集」4月号 感想  柚口満

初湯殿追焚きと言ふ昔ふと朝妻力

新年になり始めて入浴するのが初湯、初風呂、初湯殿である。江戸時代から初湯は二日とされたが現代では元旦からの入浴を楽しむ人もいる。
 湯殿にどっぷりと浸かり、新たに迎えた年を如何に歩んでゆくかと展望するのもいい心がけである。そんな状況のなかで作者は昔使っていた「追焚き」という懐かしい言葉を思い出している。昔の風呂の焚口は戸外にあった。「力や、湯加減はどうじゃ」と母の懐かしい声がよみがえる。今はボタンひとつで追焚きができる時代、初湯の情緒もなくなるはずだ。

進水の船に掛けある初暦鈴木大林子

 新造船が完成していよいよ海に出るための式典が進水式である。この句の船は豪華客船とか連絡船という大型の船ではない。どちらかというと小型の漁船とか渡し舟の類であろう作者はこの船に掛けられている初暦に注目をしている。その暦には、早速この船が出かける予定がびっしりと書かれていたのかもしれない。進水したばかりの船に前途洋々の活躍を期待する。

風邪気味といふ方便のありにけり窪田明

 方便という言葉を辞書で引いてみると、目的のために利用する便宜の手段とある。そこから嘘も方便という言葉にも使われる。
 この句、友達から何かの誘いを受けたときにどうもすこし気が乗らないものがあったのだろう。「ちょっと風邪気味で」と断りを入れたというのだ。なるほどくどくどと理由を説明をしなくてもこの風邪気味、という方便は使いやすい。
 この句の作者がお医者さんだと聞けば尚更面白い。

竹の節爆ぜてどんどのくづれけり平賀寛子

 正月の火祭りの行事に左義長があり、その傍題にどんどがある。全国的には14日の夜、あるいは15日の朝に行われるようだ。
 今では正月の注連飾りや松飾を焼くのが通例であるが書初めを燃やし字の上達を念じたり、その火で餅や団子を焼いたりする。
 この句はどんどの火が真っ盛りを迎え、支柱の竹や松飾の竹が豪快に爆ぜる瞬間を描いている。節の爆ぜる音は特に大きく、やがてどどっと一角が崩れてゆく。同時に出された「谷風の煽る火柱大どんど」も山国のこの行事をよく伝えていた。この火祭りが終わると正月気分は抜けてしばらくは雪との戦いが続くのである。

きな臭き話などして狸汁鈴木志美恵

 私は寡聞にして物心ついてこのかた狸の肉を食したことがない。書物をひも解いてみると、その肉は狸汁として食べること、また野生独特の臭みがあるが冬季には脂がのっておいしくなるとある。最近ではその肉の歯ごたえから黒い蒟蒻を代りに使い大根、牛蒡、人参、里芋などを入れて味噌汁風にして食べるところもある。
 さて掲句の作者は青森の方だから本物の狸汁を賞味している。句の眼目はその狸汁ときな臭い話のとり合わせの妙であろう。なんとなく怪しく胡散臭い話で盛り上がった場も、狸汁を食べ終わってみればそのたわいなさに雲散霧消となったのだろう。昔から狸は化けて人をだますとされていたが、人間と狸の関係は世が変わっても形を変えて面白く続いてゆく。

遠きほど舟の帆ひかる春隣小林博

 冬から春への微妙な季節感を一句に纏めあげている。海であろうか、湖であろうか、はるか水平線に浮かぶ小さな舟。その遠くの舟の帆が作者の目には明るく輝いて見えたという。
 その光こそが春の象徴、今は自分のいる浜からはまだまだ舟との距離があるがもう少しで春は確実にやってくる。「春待つ」の季語よりは客観性がやや強い「春隣」という季語を使って淡々と詠んだのが佳句に繋がったのではなかろうか。

雑炊や豚肉厚くのせにけり広瀬元

 お粥の一種に雑炊がある。その昔の戦時中には、米に限らず雑穀にありあわせのものを入れて焚いて空腹を満たしたという苦い思い出もある。
 しかし、現代では雑炊の趣も大きく変わった。贅沢に鮎やスッポンなどを野菜と一緒に炊き上げるものにはあの惨めな雑炊のイメージはもはやない。
 掲句は沖縄の雑炊である。豚の産地としても有名な沖縄ならではの一品といえようか。厚く切られた豪快な肉が椀に置かれた様は南国ならではの傑作である。

腕組みを解き手のひらに春の風牛窪肖

 日本列島は東西南北に長い地形を有していて、春の到来の方も時間差がかなりある。しかし春を迎える時の気持ちは何人たりとも同じあろう。
 そんな気持ちを大見えをきらず優しく詠んだのが掲句である。とかく冬の間はその寒さに抗するように腕組みをしがちであったが春がやってきてそれを解き放ち春の風を楽しんだ。手のひら、と具体的に体の部位を提示したことにより春の来た喜びが倍増していることに気がつく。

冬茜妙義山の奇岩燃え立たす岡村美恵子

 上毛三山の一つ妙義山は群馬県の南西部に位置する山で、その安山岩や凝灰岩から成る奇岩群は遠目にみても特異な景観を呈している。
 その妙義山が冬の夕焼けの中に稜線を真っ赤に染めて燃え立っていたという。すごい光景である。やがてこの山は冬茜が沈んでしまうと真っ黒なシルエットとなり、なお一層の迫力で作者に迫ったのである。加藤三七子の句に「冬夕焼人をあやむるごとき色」があったがこの色に染まる妙義山は見るだけでも恐ろしい。

教へ子の定年と言ふ賀状来る杉江茂義

 作者は学校の教師を長年務めあげられたのであろう。数えきれないぐらいの人数の生徒を世に送られてきた。
 新年を迎えた年賀状のなかの一枚に、定年を迎えてしまいました。大変お世話になりました、との文面のものが交じっていた。もしかして教をとった最初の生徒からのものだったかもしれない。作者の脳裏にはその生徒のこと、また、自分の歩んできた教師生活のことなどが走馬灯のように駆け巡ったのである。

両の手で折り癖つけて初日記若田部松芯

 新年の季語には「初」がついたものがそれこそ無数にある。多くは新年を迎えて初めてその行動を起こすといった場合に使われる。
 掲句は初日記であるから文字通り新年を迎えて初め日記をつけることをさす。作者は普段から日記を毎年続けて書かれているのだろう。今年の真っさらで真っ白な日記帳の一頁目を開けて両の手で折り癖をしっかりと付けた。
 このように具体的な行動を示すことで、この人の今年にかける決意が見えるしまた目標も定まるのである。一家の健康の願い、今年はこういう年でありたい、今年はこんなことをやってみたい等々、白い余白にまず一行の日記が書かれ始めた。