何時しかに米寿間近や更衣川澄祐勝

「晴耕集・雨読集」5月号 感想  柚口満 

春寒の黄泉へ俳諧漫歩かな蟇目良雨

 良多先生死す、と前書きにある句。春耕顧問の高木良多先生は去る2月12日の未明、急性心不全のため亡くなった。九十三歳であった先生は中央の句会には出られなくなっていたが、この句の作者が幹事を務めるお茶の水句会には電車で通われ元気一杯だったと聞いている。御通夜でご尊顔を拝ませていただいたが普段通りの穏やかなお顔であった。
 掲句は早春の寒さの中を黄泉の世へ旅立たれた良多師を偲ぶ一句。彼岸の俳諧の世界でも自由に歩き巡られいい句をお願いしますよ、との意であろう。春耕創始者の盤水先生と黄泉で再会を果たされ俳句談義に花を咲かせておられることだろう。

葺き替の茅はふり上ぐ訛かな倉林美保

 屋根替、葺き替は春の季語である。何故春かというと、冬の間の積雪や風で傷んだ屋根を春になってから葺き替えるからである。
 この句の舞台は訛という語彙が出てくるから地方の山間部の屋根替え風景であろう。茅葺の屋根はどんどん少なくなり、その家だけの作業では賄いきれなくなっていてその地区の人達が総出で手伝うという形が最近では定着している。いわゆる「結」という仲間の組織である。その人たちが地上から二、三人を経由して屋根の天辺に茅を放り投げてゆく。それもその土地の訛を交えて。訛、という言葉が入ったことによりローカル色豊かな作業が鮮やかに浮かびあがってくる。

満天の星の軋める寒気かな酒井多加子

 冬の夜を詠んで心の引き締まるような一句である。満天の星というから都会の空ではない。星の光を遮るものがない漆黒の闇に包まれた山間部の光景かもしれない。この句の眼目は中七の「星の軋める」である。
 軋める、との表現は普通の写生眼を一歩突き抜けたものである。星の瞬くとか、星の煌めくでは平凡である。夜空一面の星がお互いぶつかり合ってまるで軋むようだと見て空の寒気を最大限に引き出した。「軋める寒気」のカ行音も硬質感があり効果的。

梅が香ややがて空家となる農家植木緑愁

放置問題である。我が家の隣二軒も長らく空家状態であったが、最近やっとその中の一軒が解体され新築工事が始まっている。
 掲句はやがて空家となる農家を詠んでいる。ご多分にもれず農業を継ぐ人が絶えての結果なのであろうか。この家を長年見守ってきた梅の古木は事情も知らず今年も元気に花をつけいい香りを放っている。なんとも淋しい春の到来ではある。

闘鶏の漁夫も農夫も一つ火に髙橋千恵

 闘鶏の歴史は古く奈良時代には宮中で行われていたとの記述があり、平安時代にはなお一層盛んとなったが、明治になって次第に衰退していった。しかし現代でも軍鶏を使った闘鶏が各地に残っているという。
 さてこの句の面白いのはその闘鶏に集まった人の中に漁夫や農夫が混じっていたと詠んだところ、お互いが手塩にかけた鶏を持ち込んでの闘鶏が終わり焚火を囲んでの戦評に花がさく。この時ばかりは海や田に仕事を持つ人たちも、ひとときの息抜きを楽しんだのである。

春風を呼ぶや埠頭の紙テープ浅野文男

 私ごとになるが自分のかっての会社は東京湾の入り口にあたるお台場にあり、春を迎えると大型の豪華客 最近社会問題となっているのが空家の増加とそれの船がレインボーブリッジを出たり入ったりした。この句を読んでふっとそんなことを思い出した。
 掲出句も大きな船の出航風景であろうか。紙テープで送るのであるから遠洋航路の客船だ。色とりどりのテープがおりからの春風にきらめき、出航の太い船笛が別れの時を告げる。春の開放的な明るさが横溢した一句である。

つるりんと総身あらはる焼栄螺大溝妙子

 海の近くのお店で食べる栄螺の壺焼きはことのほか美味しいものだ。大体栄螺という生き物、多くの角状の突起がいかめしく人類で初めて食したひとは相当勇気が必要だった筈だ。
 でもこれが絶品で旨かった。この句にあるように持ち上がった蓋を外し中身を最後まで上手に取り出せるかが一大難事で、最後に出てくる肝がちぎれることなく出たときは本懐達成。上五、中七の言葉に取り出しに成功したにんまり顔の作者がいる。つるりん、という俗語の使い方がうまい。

白鳥の首を細めて飛び立てり木﨑七代

 中村草田男の句に「白鳥といふ一巨花を水に置く」があり、これは水に浮かぶ大きな白鳥の存在感を詠んだものである。
   一方、取り上げた句は白鳥の飛翔の瞬間のあり様を一句に詠んでいる。大白鳥はかなり大きな鳥である。体重はゆうに十キロ前後ありその飛ぶ時のスタートからして大変な労力を強いられる。大きな水搔きを前後させおよそ十メートルの助走をつけて空中に飛び立つ。その瞬間には水搔きをたたみ首を突き出しできるだけ空気抵抗を少なくするという。「くびを細めて」に鋭い観察眼が伺える。

往来にはみ出す雑貨日脚伸ぶ木村てる代

 人々が日脚が伸びたと感じるのはいつごろだろうかと考えることがある。物理的には冬の日が最も短いのが陽暦の12月22日ごろの冬至であるからその翌日から日脚は伸びることになる。しかしどうだろう。ほとんどの人は冬も終わりに近い1月中旬過ぎ辺りに日脚伸ぶ、を実感するのではなかろうか。
 この句の作者はお店のまえの道路にはみ出した雑貨をみてその感を深くした。確かに雑貨屋や花屋などに見られる風景だ。具体的な事象を提示してこの季語の本意を炙りだしている。

亡きあとも母の部屋なり春障子小林啓子

 母上が亡くなって時は日々流れてゆくが、母の部屋は生前のままに保たれている。数々の思い出を消さないためにもそうされているのであろう。
 季節は春を迎え部屋の障子も変わりない。人気のない部屋だけれど春の障子は小鳥や庭木の影を映しだし、ありし日に交わした会話までもが鮮やかに思い出される。おだやかな春障子の季語の斡旋がこの句の雰囲気を見事に支えている。

寄す波を目で追ひゐたる海苔搔女本間みつえ

 渡辺水巴に「海苔搔は他は見ず岩を見て去りぬ」という句があるが,岩海苔を搔くことを生業とする人の側面を端的に捉えている。
 この句の海苔搔女の視線もそれに通ずるものがある。岩に貼り付く海苔を搔くには潮の干満の見立てが勝負である。潮の満ちてくるまでの時間に素早く搔くことが大切なのだ。すべてを知り尽くしたプロの技を思う。

余白へと墨の滲める雨水かな松代展枝

 最近の絵画や書道といった芸術に対して余白を生かした作品云々ということがよくいわれる。この句はその大きな余白に向かう墨痕の滲みの行方を注視する。そして一転して雨水という季語を置いた。
 そうなのだ。句の余白は大自然を指し、滲んでゆく墨は土に潤いをもたらす雨なのである。上五、中七から下五への展開が実に素晴らしい