明け六つを待ちをりしごと閑古鳥川澄祐勝

「晴耕集・雨読集」6月号 感想  柚口満 

追討のやうな訃報や冴返る伊藤伊那男

 御存じのように昨年秋からこの春にかけて春耕のかけがえのない人達が大勢あの世へと旅立たれた。皆さまは春耕の創設期に寄与された方をはじめ、いずれの方々も結社に多大な貢献をされた方であった。
 この句の作者も私もそうなのだが、この方々は入会間もない我々新米俳人を温かく、また愛をこめてご指導して下さった。
 お一人の訃報の傷がまだ癒えない間に次々と飛び込む逝去の便りは、まさに掲句にあるように追討ちにあったような感が強く万象が冴え返るだけでなく心までもが引き締まったのである。
 「春耕」誌では四、五、六、七月号でそれぞれの皆様の追悼特集を組んだ。ここに改めて故人の皆様方に哀悼と感謝の意を捧げたい。

花守の寝て観よと言ふ枝垂かな石鍋みさ代

 今年も桜前線は西から東へ、南から北へと日本列島を美しい花を咲かせて駆けて行った。自分としては4月中旬の春耕・雲の峰合同吟行会の吉野山の桜が諸般の事情で見られなかったのが残念でならない。
 さて、ここに挙げた句は桜守に聞いた話を土台に一句を仕立て上げられた。その桜守は「枝垂れ桜を見るにはその下に寝てみるのが一番いいよ」と言ったという。なるほど枝垂れ桜の全体を見るにはやや離れてみるのがいいのだろうが、その枝垂れる美しさや迫力はこのほうがいいのかもしれない。何事にも専門家の話には一家言があるものだ。

鳥曇終着駅は海を向き畑中とほる

 晩春の頃の季語のひとつに「鳥曇」がある。秋の頃に日本へ渡ってきた雁や鴨などの渡り鳥は春になるとまた北の方へと返って行く。その頃の曇り空を鳥曇といい、その雲に瞬時に消えゆく鳥の姿には哀歓を覚える人も多いのである。
 作者は青森の方だからこの句にある駅はどこか気になるところだが、一読して「終着駅」という語彙が大きな意味合いを持っていることに気が付く。海を向く駅に立つと、蝦夷の地へと広がるくもり空を渡り鳥が帰って行く。人間にとっても渡り鳥にとっても本当の終着駅は海のはるか彼方にあるのだろうか。

記念樹に水たつぷりと卒業す髙井美智子

 毎年3月は卒業のシーズンである。その式典で卒業生は卒業証書を授与されお世話になった先生や、後輩の在校生、そして両親などに祝福されて未知の社会へと巣立って行く。
 作者の詠んでいるのは卒業生が校庭に記念の植樹をしている図である。何の木かは判らないが、ある統計によると卒業記念の植樹には圧倒的にサクラとハナミズキが多いとか。それはともかく卒業生は個々に土を盛りそして最後には水をたっぷりと注いで卒業していった。何年か経った記念樹の成長を見る約束をして。

涅槃図の絵解き雲上よりはじむ実川恵子

 釈迦入滅の陰暦2月14日に行われる涅槃会に掲げられるのが涅槃図である。涅槃図は釈迦の入滅の様子を表した図で、沙羅双樹の下の宝座には北を枕にし右脇を下に横臥する釈迦が描かれている。そして、これを取り囲むように菩薩やその弟子、鳥や獣が悲嘆にくれている。
 さて、この句は涅槃会に参じその図の説明を受けているさまを一句にしている。説明は図の右上に描かれた雲上の麻耶夫人(釈迦の母)から始まった。臨終に駆けつける母は薬袋を釈迦へ向って投げるのだが。
 このあと連続して面白い話が展開されるのであるが、この句は絵解きの順番を明示したことで涅槃図への興味を後半につないだのである。

足とめてしばし目瞑る花吹雪桑島蟆

 桜の花が満開になり人々はこぞって桜を見に出かける。しかし桜並木の全体像や見事な桜吹雪に遭遇しても帰宅後の実感は茫洋としていて脳裏に残っていないことが多いと思う。
 しかしこの句の作者は桜の木の下でしばし歩くのをやめて目をつむってその花吹雪を体験したという。目を閉じたことによって得られた飛花落花の風の音、無数の桜の花弁が頬に触れる感触など、その実態がより鮮明に頭脳にインプットされた。
 この句を読んでの感想。俳句を作るには目で凝視することは勿論大切であるが目を閉じての写生も同時に必要かな、と思ったことである。

三月や目線をすこし高く置く佐藤さき子

 「三月」を季語に据えた俳句。その月の季語を置いて句をつくるのは意外と難しい。その月の本意をまず念頭において作句するのは当たり前だが、ともするとつき過ぎの句になる傾向がある。
 この句は「目線をすこし高く置く」とやや抽象的な表現を用いて成功した。天候や自然が春に呼応する中、人間そのものも積極的に歩み出したということだろう。

塗り皿に鶯餅のつがひをり橋本勝

 鶯餅の句として有名なのは富安風生の「街の雨鶯餅がもう出たか」である。たいがいの歳時記はこの句を載せている。待ち望んでいたこの餅をみて春の到来を心より喜んでいる様子がみてとれる。
 ここに挙げた句は鶯餅が格調高く美しく詠まれている。塗り皿というから漆塗りの黒か、赤の木皿が想像できる。その上に並んだ二つの鶯餅を番いのそれと捉えたのが眼目である。柔らかな餅で餡を包み、青い黄粉をまぶしたものは端が少し尖らせただけであり、ましてや雄か雌の区別はつかないがあえて番いと断定して句の格調を高めている。二つの鶯餅が塗の皿の上にのる美意識と静謐感がいい。

学生の入れ替るカフェ燕来る古郡瑛子

 3月から4月にかけての学生街の様子を詠んだ一句。この時期は句にあるように大学生たちは社会に巣立つものと新たに入学したものとが入れ替わる時期。喫茶店に来る入学生の服装も初々しい。
 この街並みに馴染んだ燕もちょうどこの時期にやってきて半年間の新たな生活を始める。燕という鳥を介して学生街を明るく活写した一句。

にぎやかに降りて積らぬ牡丹雪百瀬信之

 春の雪は掲句のように牡丹雪とも呼ばれる。文字通り雪の結晶同士がくっつきやすく、その雪片が牡丹の花びらのように大きくなるからである。春の雪は春雨が一時的な気温の低下で雪になったもので、降ってもほとんど積らず融けてしまうことが多い。
 この作者はそんな牡丹雪を上五から中七にかけて「にぎやかに降りて積らぬ」と本質をついた表現をつけた。大粒な雪はまさしく賑やかにどんどん降り続くのであるが地上に積らず融けていったのである。