「晴耕集・雨読集」9月号 感想  柚口満

山頂は鳥居の高さ富士詣伊藤伊那男
   昔から山に登ることは信仰の目的で行われてきたがその最もたるものが富士詣であった。「六根清浄、お山は晴天」と唱和しながら富士登山を行い、富士権現の奥の院に参詣した。
 その後、浅間神社の信仰と結びつき、市中の境内に岩で富士塚を造り参詣するようになる。東京でいえば、駒込富士詣、浅草富士詣がそれにあたる。
 さて、掲出句はその富士山の頂上の高さが、鳥居の高さであったという発見が眼目である。たとえ5メートル位の富士山であれ、信仰心があるということは尊いことである。

夏草に半ば埋もるる衣川 阿部月山子
 作者は芭蕉の「奥の細道」に出てくるみちのくの平泉を訪れた。
 平泉は平安時代の末期に奥州藤原氏によって栄え中尊寺やあまたの遺跡が残るところである。芭蕉が当地に寄ったのは藤原氏滅亡からおよそ500年が経っていた。芭蕉は義経終焉の地の高館で「夏草や兵どもが夢の跡」を詠んでいるが、掲出句もここで詠まれたものであろう。見渡す衣川は夏草に覆われて水面もよく見えなかったという。悠久の歴史は遥かに遠く、夏草の茂りだけが昔のそれを偲ばせてくれた。

塾帰りの子を待ちがてら門涼み 飯田眞理子
 この句の季語は門涼み、子供の頃を田舎で育った自分には久々に懐かしい季語に出会った気分になった。あの頃は夕方になると家の前に床几を出して、風呂上がりの大人も子供もたわいのない話をして一日の暑さを忘れたものだ。
 さてこの句は現代風の門涼み。塾帰りの子供を持ちながら若いお母さんたち何人かがお喋りに興じている光景を想像してみた。時代がかわれば納涼の趣も自ずと変わる。貧しくともゆったりとした涼をとった昔が懐かしい。

葛切やするりと躱す心内 髙井美智子
 葛切という涼感のある食べ物を配し人間の会話を面白く詠んだ一句。葛粉を水で練り砂糖を加えて練り固めたものが葛練、これをうどんのように細かく切ったものが葛切だ。氷をいれ冷やし蜜やきな粉、抹茶をかけて食べれば涼味満天、女性が好むものでもある。 
 女同士の会話が続く中で核心にさしかかると、微妙にそこを躱すにはこの甘味、意外と有効なのかもしれない。涼しい顔で食べ続ける顔を想像するのも一興である。

蟬時雨窯攻めの火とせめぎあふ 広瀬元
 夏の最盛期の蟬時雨と窯焚きの模様を併せて詠んだ男性的な一句である。
 ここからは私の想像であるが、この句の舞台は山の中の窯場であろうか。窯場は登り窯であろう。昼夜を問わず1,000℃以上の火力を保ち火を燃やし続けるのは至難の技。そんな窯攻めの火と競うように鳴く蟬時雨もこれまた力強い。蟬時雨と窯攻めの火、意外な取り合わせが類想感のない佳句につながった。

本復の夫の歩幅や青芭蕉 飯牟礼恵美子
 体調を崩されていた夫君が健康を取り戻され、安堵された様子が伺える一句である。この句は徐々に病が癒え戸外の散歩に付き合われている場面であろう。本来の元気だった頃の歩幅が戻りほっとされた様子が垣間見えるようだ。その嬉しさは季語の「青芭蕉」に託されている。 

縁側に蚊遣を焚くも夕支度 岡本明美
 蚊遣り、蚊取り線香の需要も生活環境の変化で数少ない夏の風物詩となりつつある。しかし、あの懐かしい煙の香りはなかなか捨てがたいものがあり場所を選んで使われてもいるようだ。この句のように外で何かをする時の蚊よけにはもってこいの代物である。今夜は一家で夕涼み、蚊遣は心配りの夕支度である。

芒種かな農を嫌ひし少年期 久保木恒雄
 作者にとっては「芒種」を迎える頃になると遥かな少年期の思い出がよみがえるようである。
 芒種とは二十四節気のひとつで陽暦では6月6日頃になる。稲などの芒(のぎ)のある穀物を播く時期で、田植えの始まる日ともされる。昔はこの時期が嫌いであった少年も、今は立派に農業をやり遂げた充実感で一杯だ。懐かしい感傷がにじみ出た一句。

硬き音たてて青梅洗はるる 佐藤さき子
 青梅の質感がよく出ている一句である。梅雨の時期を迎える頃になると梅の実が大きくなりはじめ、収穫のあとは梅干しや梅酒造りに忙しくなる。掲出句、硬き音たててに、固く締まったしかも充実した粒ぞろいの青梅が目に見えるようだ。