「晴耕集・雨読集」9月号 感想  柚口満

梅雨鯰抱へ野良より父帰る池内けい吾

 作者の池内さんは大学に入るために上京するまでは勉学のかたわら家業の農業を手伝っていた。そんなことから昔の農事のあらゆることに詳しくその話には傾聴に値するものが多い。
 この句は田植え後の田んぼを見回って帰ってきた在りし日の父上の姿を詠んだものである。梅雨の増水で田んぼに迷い込んだ鯰を持ち帰った、というのだが「抱へ」というからには相当大きな鯰が想像される。
 梅雨時になると父と鯰のこの光景が脳裏に浮かび、在りし日の父上を懐かしむのである。

田を植ゑて水の近江の蘇る鈴木大林子

 滋賀県の琵琶湖の東と南、いわゆる湖東と湖南は近江盆地とよばれ近江米(江州米)の産地として知られる。琵琶湖の澄んだ水、肥沃な土壌と恵まれた環境で育つ米は大阪、京都などの近畿圏で根強い人気がある。
 この句に共感するのは冬から早春にかけての近江は琵琶湖を中心とした景色が地味であるのに対し、水田、そして植田に代わる頃にはそれが一変すると詠んでいること。湖に加え大地までもが水に煌めく様はまさに水の近江なのである。私も湖東の出身であるが、この捉え方には大満足で「よくぞ詠んでいただいた」と感謝する。

ただならぬ河童の川や梅雨の月乾佐知子

 河童の川というから遠野の河童淵をいうのであろう。民俗学者の柳田國男の『遠野物語』には、小川の淵には河童が沢山棲んでいて人間を驚かせたという河童伝説が出てくる。
 時は梅雨の真っ只中の夜、川の両側はうっそうとした茂みに覆われ今にも河童が出てきそうな雰囲気だ。上五で「ただならぬ」ときりだし増量の不気味な川の雰囲気を醸し出すことに成功した。棹の先の糸に餌の胡瓜を付けて月明かりの中で河童釣りに興じられたのかも。

夕焼を全部使つて農終へる井出智惠子

 掲句を読むとまづ頭に浮かぶのは今の農作業でなくひと昔前のそれである。機械化がまだ発達しない時期は、それこそすべてを人力に頼り牛などの動物に頼ってきた。それだけの重労働だったのだ。
 この句、なんといっても夕焼を全部使って、という表現に独自性があって読む人の胸にストンと入ってくる。夕焼が褪せて闇に紛れる頃、やっとこの日のノルマの作業が終わった。やはり少し前の農作業とみたほうが納得できるのだが、どうであろう。

暮れぎはを急きこんでゐる行々子倉林美保

 行々子とは葭切のことである。葭の穂先や茎に縦にとまって「ギョギョシ、ギョギョシ」と鳴きたてることからこの名がついたともいわれる。たしかにあの鳴き方はお世辞にも美しいとは思われないし、なにかに急かされているようにも聞こえる。
 昼夜を問わず賑やかに鳴く行々子であるが作者は特に暮れぎはの鳴き方に耳を傾けた。事情はわからないがあせるように、いらだつように鳴くのは営巣を守るためだったのか。ちなみに郭公は行々子の巣に托卵することがよく知られている。

晴天の崩れてよりの濃紫陽花大細正子

 今年の紫陽花は例年に比べ美しくなかったという話をあちこちで聞く。その根拠は定かではないが梅雨時に晴天が多く雨が少なかったから、という人もいる。
 この句もその辺を示唆されているようにも見える。たしかに紫陽花は雨の日や曇った天候でこそ見栄えがするからである。濃い青の紫陽花の充実感。

気短な風に応へて江戸風鈴小田絵津子

 気短な風という表現が個性的で感覚も新しい。具体的にはどんな風だろうかと留まらせる力があるということかもしれない。悠々と吹く風でも優しい風でもなく、俄に強く短く吹く風と解釈してみた。
 これに応えた江戸風鈴の鳴り方も興味深々だ。

餌を止めて巣立ちうながす親つばめ勝股あきを

 燕は人間の生活に馴染んだ鳥のひとつといえよう。春に日本に渡ってきて人目に付くところに営巣する。人間に見られながらの子育ても外敵から己を守る手段だともいわれる。あきをさんは鳥の生態にはかなり詳しい方、巣立ちに際し親燕は餌やりをわざと止めるという行動があるという説、感じ入った次第である。

薫衣香百年経ちし桐簞笥高島和子

 薫衣香(くのえこう)という夏の季語を御存じだろうか。衣服を香らせるために昔から使われてきたものであるが私は初めて知った。100年を経た由緒ある桐の簞笥からこれまた先祖譲りの着物を取り出し薫衣香の香に家の女性史を偲んでいる一句。