「晴耕集・雨読集」  10月号 感想          柚口 

目覚むれば日はまた新た雲の峰朝妻力

 掲句の作者、朝妻力さんは御存じのように「春耕」の僚誌「雲の峰」の主宰である。今から19年前の12月1日、前身の「俳句通信」から名を変えた雲の峰のお披露目が大阪で開かれた。その日は天皇、皇后両陛下の長女、敬宮愛子さんがお生まれになった日と重なり印象深い日であったことを思い出す。
 さて、この句は自分の結社、雲の峰を念頭において詠まれたものではないにしても、根底に流れる思いには大いに共感を覚えるものがある。直接的には夏の朝の目覚め時の感慨、昨日までのことはさておき新たな今日を懸命に生きていこうと雲の峰に誓ったということ、仲間の我々は力さんの自分の結社に対する並々ならぬ思いの吐露と見たのだがどうだろう。

見間違ふ隣の主人半ズボン堀井より子 

 男が作る俳句と女の作る俳句の視点みたいなものが垣間見えるようで面白いと感じた句。およその日常生活で男は女の、女は男のファッションに興味を持たないものと相場が決まっているのかと思っていたがそうでもないらしい。
 作者はお隣の主の半ズボン姿に遭遇して普段と違う人かと見間違ってしまったと、驚いている。いつもは会社勤め人らしく背広にネクタイ姿だった人が今朝は夏らしい白い半ズボンで体操に励んでいる。普段みかけない服装の醸し出す意外性をユーモア溢れる目線で詠んだ一句である。

聞き流す術も大切ところ天奈良英子

 奈良英子さんの句にはいつも新鮮な目が感じられ好感を抱く。写生句ともなるとついつい使い慣れた語彙や表現がむくむくと頭を擡げるものであるが、その術中にはまらない努力がみえるからだ。それに加えて、掲句にあるような人生観を詠んだ句が最近は多くなってきているのにも気がつくのである。
 この句も心太の季語の斡旋が見事である。同性との日常の会話になり相手の話が佳境に入って長引いてもそこは余裕で聞き流したという。その術こそが人生で身に着けた宝物、心太を食べ終わったところで絶妙の相槌が入ったのだろう。同時に出されている「願ふより謝する余生や星祭」「音もなく老いゆく命胡瓜揉」など年の功だけでは作れない佳句である。

水打てば丸く転がる土埃山﨑赤秋

 打水の一句である。言うまでもないが夏の暑さを凌ぐ手だてのひとつが打水、地面が清められ地表の温度がいくばくか下がってその涼感に納得する。
 この句はその涼味を詠んだのではなく、打った水の水玉が乾ききった土の表面の土埃に接した刹那の有様を凝視している。土埃をまあるく纏ったビー玉のような水滴が転がりだすと辺りには土埃の匂いが立ち込めたのであるがそれもつかの間、やがて土の表面に馴染んだ打水からは涼しい風が生まれ始めた。だれもが見た光景であるが衆人にはここまで写生する根気がない。その観察眼に脱帽である。

暮れ方をなほ競ひ立つ雲の峰藤田壽穂

 ここ数年の季節の移ろい、気象状況に特徴を見つけるならば夏と冬の季節が長く、春と秋の季節が短いということだろうか。
 この句にあるように今年も例年にもまして入道雲が朝から昼間から夕方までよく見られた。それだけ暑い日が続き、天候の急変も多かったということになる。
 暮れ方の夕日の中をなおもむくむくと競い合って上天を指す雲の峰に今日一日を乗り切った安堵感も伺える一句である。

蜜豆や話上手に聞き上手藤山多賀子

 掲句にある蜜豆や白玉、ソーダ水などの季語を用いた俳句は歳時記などをみても女性の方が詠むのがうまいと思うのだが、それは食べ物との関係からくるものだろうか。
 句にあるような場面はよくあること、蜜豆を食べながら良くしゃべる人、反対に苦にもせず聞き役にまわり黙々と食べる人。世の中はうまく回っている。

白南風やレースを終へし艇帰帆藤原正夫 

 長かった梅雨空が明け、海に白南風が吹くようになると待ち兼ねたようにヨットのレースが始まる。外洋に向かうヨットの帆の色どりとその集団は梅雨明けの象徴だ。そして句に詠まれたのがその帰帆風景、それぞれのヨットは青い海原を思う存分疾走し、その順位はともかく気持のいいレースを繰り広げ戻ってきた。

帰省子の寝転ぶ部屋の広さかな宮沼健夫

 都会に就職した我が子が夏休みを利用して帰ってくる。それが数年ぶりともなれば親の方は落ち着かないことだろう。
 夫婦二人だけとなった家はほとんどの部屋はがらんどう。帰省子が寝転んで午睡をとってみると、その部屋の広いのに驚いたという。子供がたくさんいて賑やかだった在りし日々の追憶を辿る一句。