「晴耕集・雨読集」8月号 感想                柚口満   

紫蘭咲き乱れ無人のわが生家池内けい吾  

 紫蘭はラン科の多年草で古来万葉集にも詠まれた馴染みの深い花である。山野に自生するが観賞用として庭にも栽培される。
 さて掲句にある「無人の生家」という言葉を最近の俳句でよく見かける。故郷を離れた子供たちが実家に戻らず独立して生活を始め、自ずと両親の代で無人の生家となってしまう現象である。
 作者は今の生家の状態を確かめるべく久々に帰郷をされた。そこで目にしたのは紫蘭の花、小さい頃から見慣れていた紫蘭が今も健在で咲き乱れていた。ちなみに紫蘭の花言葉は「あなたを忘れない」という。 

木曾馬の人に擦り寄る夏はじめ萩原空木  

  木曾馬と聞くと懐かしい思い出がある。長野県の開田村に第三春山号という木曾馬の最後の純血種がいたが老衰がすすみその標本を残すために名古屋大学の農学部に送られ安楽死を受けたのである。昭和50年1月のことであった。
 故郷を離れ死出の旅路につくこの木曾馬の模様を私は後日テレビで放映したが反響は大きかった。
 木曾馬は小さいが、山坂に強く、性格は穏やかで扱いやすい。この句の作者はこの馬の故郷を訪れ第三春山号の子孫と遭遇、人懐つこく擦り寄る馬に感激したのかもしれない。春山号の剝製は生まれ故郷の郷土館に収まっている。   

 苦も楽も生きて地獄の釜の蓋田村富子     

 俳句で地獄の釜の蓋という季語を知ったのは棚山波朗前主宰の作品からであった。今般,発行された氏の最後の句集『能登小春』に「道の辺にその名地獄の釜の蓋」があり変わった春の植物の季語をそのまま楽しんでいる一句になっている。
 地獄の釜の蓋は全ての歳時記に載っているわけでなく存在を知らない者も多い。きらん草の傍題であり地面に這うように紫色の小花を咲かせる。
 この句は、その珍しい季語を活かした一句。人生苦もあるが楽もある、決して地獄の釜の蓋など開くまい、との心意気を可憐な花に返しているのであろう。              

黒南風や不漁つづきの漁日誌太田直樹               

 暗い梅雨空に吹く南風が黒南風、もともとは漁師言葉といわれる。連日の悪天候は漁師にとっては死活問題。不漁が続く漁師の日記にはつらい嘆きの言葉が短く書き入れられる。黒南風の季語が効いた一句。
 今、日本の水産業は原子力発電所からの処理水海洋放出に中国が反発、日本産水産物を全面輸入禁止という暴挙に出て大きなピンチに立たされている。すぐに白南風という希望の持てる良策は見当たらない現状だ。 

気が付けば南天の花盛りなる鈴木幾子 

 植物の南天は難を転ずる意味に通じることから縁起木として家の門口や庭に植えられる。6、7月頃が花期で白い小花が咲くのであるが目立たない。
 作者は日常見ている南天に控えめな花が咲いているのをある時気が付く。それも満開の状態だったので驚きを隠せなかった。
 南天の生育は極めて速く、あっというまに人間の背丈を超える。小生も先日思い切り伐採したが天辺の花まで伐って家人に叱られた。正月を飾る赤い実のもとである花の一部が損なわれてしまったのだ。 

石に座し石になりたる涼しさよ 飯田畦歩 

 禅問答を彷彿とさせるような句作りの一句である。読む人に鑑賞をまかせるような句の作り方も、それはそれで魅力のあるものである。
 椅子やベンチでなく石であることがこの句の眼目。頭の中を空っぽにして身も心も石になった実感がわいた時の涼しさが新鮮で味わいぶかい。 

南風吹く島の旧家に船簞笥菰田美佐子 

   船簞笥という物を提示することで句のふくらみが増した一句であろう。
 江戸時代に活躍した千石船に乗せられたのが船簞笥。貨幣や帳面、船の往来手形や印鑑などの貴重品を収めるものであった。指物師や金具や漆の職人の手になる頑健な代物を島の旧家で見つけた作者。
 船乗りが好むといわれる南風の中、在りし日の千石船の活況をこの簞笥から偲んだのである。 

マンションのやうな客船夏の雲野村雅子 

 豪華客船のクルーズは新型コロナウィルスの船内集団感染のせいでしばらく下火になっていたが、最近また人気が出始めて乗船募集の広告等が目に付くようになってきた。
 掲句にあるようなマンションのような船、たとえば典型的な人気モデル、日本郵船の「飛鳥Ⅱ」だと総トン数は5万4百トン、全長240メートル、9デッキである。マンションにたとえたのが妙味。そんな白い船が入道雲をバックにゆったりと航行する旅。うらやましくも夢のような光景だ。