「晴耕集・雨読集」3月号 感想 柚口満
義士会の香煙家に戻りても伊藤伊那男
元禄15年、12月14日は大石良雄を初めとする赤穂義士47人が江戸本所の吉良上野介邸に討ち入り主君浅野長矩の仇を討った日である。この日を偲ぶ「義士会」という催事が今日まで続けられていて、東京・高輪の泉岳寺は終日多くの参詣者で賑わう。
昼から夜にかけて47士の墓前には線香の香と煙が立ち込め高輪の空を覆い尽くす。
この日泉岳寺に参拝した作者はそれぞれの墓に一本づつの線香を手向けて主君に殉じた47人の人生に思いを馳せたのであろう。線香に包まれた身は家に戻ってもその香はしばらくとれなかったという。日本人の赤穂浪士への、そして判官贔屓の根強さを改めて実感されたのではないか。
三百六十五日朝湯や年湯さへ朝妻力
年の湯の傍題に年湯、除夜の湯がある。文字通り大晦日の夜に入浴することである。しかしこの句の作者は毎日朝湯が日常化しているので大晦日も朝から湯船に浸かり1年を振り返るのだ。こういう年湯も悪くない。
出だしからいきなり、365日と切り出した破調が新鮮だ。1日ごと過ごした重みが感じられる。365回目の朝湯、今年もいろいろいろなことがあった。朝湯であれば心おきなくゆったりと1年を振り返ることができる。明日の元旦からももちろん朝風呂に入り1年の計をたてるつもりだ。
一葉忌立ち居に匂ふ湿布薬沖山志朴
作者の句に出会っていつも感心するのは、句にする素材や舞台の多様性である。それだけ万物に対する視線が弾力的でしかも感受性が鋭いということであろう。
掲句は11月23日の樋口一葉の忌日に合わせて作られた一句。病院だろうか、接骨医院であろうか、患者の立ち居に匂ってきた湿布薬から樋口一葉を想起した瞬間にこの佳句はうまれた 小説家を目指した一葉は、父の死から始まった困窮の中で一家は数回の転居や商いの挫折を経験、二十歳そこそこのか細い一葉の双肩には膏薬、湿布薬が貼られていたことは想像に難くない。僅か2年足らずに不朽の名作『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』を残して24歳で逝った樋口一葉、湿布薬の語彙の効用がこの句を大きく支えている。
さて何が嚏のあとのひと言は小野寺清人
咳や嚏(くしゃみ)は勿論冬の季語であるが、咳が感染症的な病気が連想されるのに対し嚏は単発、あるいは2度、3度ぐらいで終わるものが多く、どこか滑稽で笑いを誘うものがある。
作者は嚏のあとに出る相手のひと言に注目している。さてこの人はどんな言葉で反応をしめしたのか。答は読者に委ねた格好だ。「参った、誰かが俺の噂をしているな、悪口かな」「風邪にかかったかな」等々楽しい俳句である。嚏が出る直前から発声までの人間の形相も捨てがたいものがあるのだが。
煤逃や猫引き連れて二階へと秋山淳一
新年を迎えるための煤払い、昔は12月の中旬ごろに行われたようだが最近はもう少し押し詰まった日に行われているようだ。古今東西、煤払いは男や子供はとかく邪魔扱いされ掲句のような塩梅となる。
作者は自発的に2階へと、と恰好をつけているが追い立てられたというのが実情だろう。年末は男どもにとって肩身の狭い季節、ご同輩の苦笑を誘う一句。
冬茜束の間尾根を彩れり正田きみ子
冬夕焼の傍題に寒夕焼、冬茜、寒茜、寒落暉などがあり、それぞれ情緒を醸し出す季語である。
夏の夕焼と異なり冬のそれは淡く短くあっという間に夜の闇へと移ってしまう。尾根の稜線を薄紅色に染めた冬茜は瞬時に色を失ってしまった。その時間が短かっただけに瞬時の美と寂寥感がない交ぜになった感情が作者に残ったようだ。
数へ日の浦ことごとく舟伏せて中道千代江
作者は敦賀の方だから若狭湾に面した浦の師走の風景を一句にされたのだろう。
年もつまりあと数日で新年という漁港、今年1年、小さくとも大活躍した舟が洗われ舟底を見せて整然と並ぶ。舟はもとより、地元の漁師さん達への労わりの色がよく出た一句。
浦の家々ではお正月を祝うお節料理の仕込みが始まっている頃だ。
前のめりしだいに深く歌留多とり真木朝実
正月の遊びといえば昭和の時代までは歌留多や双六、福笑い、羽子板、凧あげ等々懐かしいものが脳裏をかすめるが、今の時代の子供たちは何を楽しみにして遊ぶのかわからない。
この句は懐かしい歌留多とりを詠んでいる。定番の小倉百人一首であろうか。相手共々前のめりが激しくなる一戦、古き良き時代の思い出がよみがえった。
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