「晴耕集・雨読集」12月号 感想                柚口満   

箒目は畳目に添ひ今朝の秋伊藤伊那男

 立秋を迎えた日の気持ちのよい一句である。お寺の広い書院の間を掃除する僧の姿が浮かぶ。
 畳には「目」とよばれる編み込みの方向がある。その方向を変えると光の反射がかわり見事な色の変化が出現、畳の配列を変えると見事な模様が呈される。
 その畳の目に合わせての部屋の掃除、目に逆らうことなく進められる作業は新秋の景にふさわしい。箒目と畳目の取合せが絶妙だ。

野菊咲きまなこの澄みし岬馬畑中とほる

 作者のおなじみの作句フィールド、下北半島の北東端の岬馬、寒立馬を詠んだ一句である。
 この岬に放牧される馬にとって秋という季節はこの上もない極上のものであろう。最近の秋は青森だけでなく全国的にも短くあっという間に過ぎてゆく。それだけに馬は愛しむように秋の陽を満喫するのである。
 秋晴れにふさわしい草花の代表が野菊、紫紺や黄色、白色の菊が咲き乱れ、大きな馬のまなこは青空同様に澄み切っていたという。岬馬にとって過酷な冬の到来は間近である。

稲びかり母の本より私信落つ倉林美保

 一読してエッ、ドキッ、との思いが浮かんだ一句、それは、季語の稲光、そして母の私信という秘密めきたる語彙の斡旋からきたものだろうか。
 お母様の愛読書のページを繰っていると古い私信の封書がはらり、と落ちてきたと作者は詠む。そして稲光までもが部屋に及ぶ。
 これからの展開は私にも分からないから軽々に述べるのは止すが短詩形の俳句ではこれらの言葉が並ぶだけでその景は無限大に膨らむということを教えてくれた。勉強になる。

臥す夫の部屋真つ先に障子貼る高井美智子

 昨年6月に句集『阿波しじら』を上梓された髙井さんの作品である。句集のなかでもご主人の句を何句か詠まれているが、掲句もその流れを汲むものである。
 臥しがちの夫のために秋を迎えるといの一番に部屋の障子を張り替えたという。夫思いの作者の優しい気遣いにまず心を打たれたものだ。
 余談になるが小生は去年からアイロンで障子を張る方法に変更した。すこぶる短時間で出来あがりびっくりした。簡単に紙が剝がせ糊あと掃除なしで出来るアイロン障子貼り、紙代が少し高いが参考までに。

栗拾ふ二合の釜に見合ふ数鈴木志美恵

 最近つくづく思うのは我々のように老境に入った方々の夫婦を思いやる句がおおくなったことだ。俳句人口が益々高齢化する現状では驚きというより当たり前の現象と捉えることが妥当なのだろう。
 掲句は子供たちが巣立ち、個々の家庭を健やかに自立させている今残った夫婦の生活の在り様をしみじみと詠みあげた一句。
 栗拾いに出かけその栗の数は二合の釜に見合うだけ拾ったと述べる。微笑ましく、また幸せな夫婦の夕餉が想像できるではないか。

曼珠沙華天意のままに咲き揃ふ飯田千代子

 曼珠沙華という花、小さい頃は好きな花ではなかった。どうしてかというと彼岸花とか死人花などという別名があり、そんなことが影響したのかもしれない。
 彼岸に合わせ正確に、土手や畦などに正確に合わせて咲くのも不思議でならない。作者はそれを天意を受けて咲くと表現した。納得した。

秋暑し束ねて緩ぶ古雑誌鏡原敏江

 今から思い出しても去年の残暑は厳しかった。10月になっても幾日も夏日があったと記憶している。そんな中で作者は資源物の回収に合わせて古雑誌の整理に余念がない。誰もが経験するのだが、本類の縛り方が非常に難しい。縛りが緩んで本が崩れてしまうのだ。残暑のなかのいらつく作業の感じがよく出た句である。

今年また辞世句披露生身魂佐藤昭二

 盆の行事のひとつに亡くなった人の魂祭のほかに、ご健在の年長者を敬う生身魂という風習がある。
 掲句の生身魂も親子をはじめ親戚、縁者から長く尊敬され敬まわれてきた人だろう。最近は当の本人が毎年辞世句を披露するというお目出度さ。蟇目良雨主宰の句に「寅さんの映画に行けり生身魂」があるが、生きのいい生身魂に会えるのも楽しいものだ。

村歌舞伎客に盗らるる名台詞髙橋栄

 村歌舞伎、地芝居といわれるものは全国に相当数ある。10数年前に長野の大鹿歌舞伎で見た傾城阿波の鳴門の巡礼お鶴の台詞には泣かされた。この句は舞台と会場の客との触れ合いの楽しさを描いた一句。主人公の役者のヤマ場の台詞を客が先取をして声出しをしてしまったという。大笑い、苦笑いで盛り上がるのも地芝居の愛嬌か。