「雨読集」6月号 感想                        児玉真知子

野面這ふ風にふるへる菫かな網倉階子

 菫の多くは自生しているので、馴染がある。花の濃淡はあるが、紫の小さな花と細い花茎は可憐で美しい。目の前に咲いて見過ごしてしまいそうな菫を描写、地を這うように吹く風に震えている様子は、哀れを誘うと共に健気さを覚える。弱気になった時に、奮い立たたせてくれるような句である。

花吹雪川面の雲に乗り移る市川春枝

 古来より「花」は俳句や和歌では「桜」を意味する。桜吹雪は、満開の花びらが吹雪のように乱れ散る光景を指す。川の水面に映る雲に、花吹雪の軽やかで華麗な乱舞のあとの景を的確に表現。平明な無駄のない描写で、はかなさを惜しむ気持ちが伝わってくる印象的な句である。

単線の真つ直ぐ光る花菜風牛窪肖

 4月頃、茎の先に十字の黄色い鮮やかな花が密集して咲く菜の花、その辺りにそよ吹く風が花菜風。この単線は、房総半島を走るいすみ鉄道でしょうか。菜の花の群生が沿線15キロにも及ぶ。単線と花菜風の取り合わせが、のんびりとした雰囲気を醸しだしている。「真っ直ぐ光る」の的確な写生によって、鉄路の光り輝く眩しさの先に何かを想像させる明るさがある。また、快いリズムと自然を享受する喜びに共感できる。

草青む襁褓振り振り歩む児よ岡村美恵子

 あちこちから萌え出る新鮮な緑は、春の訪れと共に、生の喜びを強く感じる季節でもある。まだ襁褓が取れない児が歩く時の、バランスの覚束ない中、どうにか歩く姿を平明に具体的な表現で可愛い仕草が目に浮かんでくる。自然と可笑しさが込み上げて笑みのこぼれてくる作品である。同時に、健康ですくすくと育って欲しいと願う気持ちが伝わってくる。

ひそひそと揺れる蕾や睡花鈴木吉光

 睡花は、季語「海棠」の副季語である。睡花は、楊貴妃が玄宗皇帝に召されて、酒に酔ったうたた寝顔を見て「海棠睡り未だ足らず」の故事に由来している。因みに花言葉は「美人の眠り」とか。睡花は、雨に濡れた風情はことに美しいと言われている。蕾が垂れ下がり揺れている景を「ひそひそ」と擬態語の表現がよく効いている。

したたかに石の割れ目の鼓草舘岡靖子

 鼓草は蒲公英の副季語。春の野で最も親しみがあり、どこにでも見られる。花は日が出ると開き、曇りの日や夜になると閉じる。茎を短く切って、両端に放射線状の切れ目を入れ水に浸けると鼓の形になるので「鼓草」と言われる。鼓草に焦点を絞って、確かな表現力で自然の植物の生命力の逞しさを詠み込んでいる。

芽柳のほぐれて色を流しけり島村真子

 早春の頃、柳は枝垂れた枝に一斉に淡く細かい緑の新芽を吹き出す。春の息吹が感じられるこの時期の柳の色は特に美しいと思う。微風に揺れる芽柳は、あたかも緩い穏やかな川の流れのように感じられる。一幅の絵を見ているような爽やかな情景である。

ぜんまいのト音記号の解れそむ野村雅子

 「ぜんまい」は、湿気の多い山地や原野に生えるシダ類の一種で、昔から山菜と保存食として重宝されている。仲春の頃、地中から褐色の毛におおわれた渦巻状のような新芽の先端部分が顔を出す。「ぜんまい」は銭巻の意味という。渦巻状の若芽は、生長にしたがって綿毛を脱いで、赤みを帯びたシダ状の若葉となる。この若芽の状態を「ト音記号」と作者の新鮮な感覚で言い得て印象深い。

ピカソ展出で春宵の街歪み小林休魚

 パブロ・ピカソはスペインのアンダルシア地方出身、戦争の悲惨さを訴えた壁画「ゲルニカ」は歴史に残る名作として有名。近代絵画から現代アートに変わる時期に、キュービズムによる美術表現を生み出し20世紀最大の画家と呼ばれている。ピカソ展を鑑賞した後の感動のままに春宵の街は、どことなく歪んでいるように見えた。ピカソのキュービズムの作風に感化されたのであろうか。