今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2021年11月号 (会員作品)

生きるとは食べることなり終戦忌 伊藤克子
 一見当たり前のことをいっているようだが、作者の同時作に<無蓋車にひしめく人や月赤し(満州よりの引揚げ)>があることから敗戦後に満州からの引揚げを経験された方の言葉と分かり「生きることは食べることなり」の言葉の重みが伝わってくる。
 コロナ禍であれこれ不自由を強いられている現在であるが、あの時代に較べれば食べられるだけでも幸せであると冷静に見ている作者がいる。

枝豆の茹で上がる間のスクワット 高瀬栄子
 この句を「菠薐草の茹で上がる間の」としても同じだと考える読者がいればそれは違うと言いたい。菠薐草の場合は二分以内に茹で上がってしまうからスクワットなど出来ない。枝豆は色々種類があり茹で上げるのに二分から十五分かかる品種がある。丹波黒豆は後者に属する。十五分もかかるのならスクワットで体を鍛えておこうと思うだろう。時間を惜しんで励む若々しい作者像が見えてくる。

地を穿つ雨ひきつれてはたた神 桑島三枝子
 雷神を擬人化して成功。土砂降りの雷雨が地面に穴を開けるくらい強く降っている。この雨を引き連れて来たのははたた神だという認識が作品を面白くした。単純写生なら「地を穿つほどの雷雨が降りにけり」で一応句としての体裁は出来上がっている。「穿つ」の言葉に発見があると褒められるかも知れない。しかし原句と比較すればその違いは大きいことを理解して欲しい。

秋めくや一語もて足る我が暮らし 池田年成
 一語で足りる暮らしとは例えば、秋田地方で「どさ」「ゆさ」と言う言葉で表される暮らしがある。「何処さ行くの?」「お湯さ」という会話である。しかし作者は東京の方で、同時作<独りとは寂しき自由梨をむく>から独り暮らしであることが分かるので、一語とは会話でなく自分が自分にかける励ましの言葉と解釈した。
 「さあ起きるぞ」「飯にするぞ」「俳句を作るぞ」「酒でも飲むか」「風呂に入るぞ」「寝るとするか」一茶の一日の呟きのように聞こえて来た。

あけすけにもの言ふ妻や鳳仙花 平向邦江
 鳳仙花の持つ庶民性が「あけすけにもの言ふ妻」と響き合っている。

コスモスの角が目印別荘地 野村雅子
 広大な別荘地に人を訪ねるのは大変であり単にコスモスでも、何か植えて区別をする工夫が伝わる。

爽籟や十人十色の声若し 竪ヤエ子
 いつまでも声が若々しいのは女性である。しかもそれぞれ特色がある。