今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2024年8月号 (会員作品)

耳濡らし水飲む子らや夏来る河内正孝
 水を飲むのに何故耳を濡らさなければいけないのか。この短い描写の中に写生の目が詰まっている。読者は子供たちが水道の蛇口に上向きに口を付け乍ら水を飲み耳まで濡らした様子に思いが至る。同時作〈南風吹く戸毎井戸ある阿蘇の村〉南風の暑苦しさと戸ごとに井戸を備える阿蘇の村落の涼し気な対照が句を落ち着かせている。

母たるを忘れし母よ花樗小杉和子
 母が母たることを忘れるとは母の認知症が進んだ結果なのだろう。あれほど完璧であった母が目の前で壊れていく悲しい現実を作者は素直に受け入れて上げている。それは樗の花の淡淡とした色調に心が鎮まっていることによるのだろう。他の花ではこの淡淡とした感じは出せないと思う。

子を叱る我の理不尽太宰の忌関野みち子
 思わず子を𠮟ってしまった後で後悔しているのだが、それはかの太宰が子に無理難題を押し付けたことによく似ているなと思うからである。さくらんぼを買って来て子供に食べさせないで自分一人で食べ尽くしてしまう太宰の理不尽などを時が太宰忌にあたったので尚更感じているのであろう。

夢の世の白帆のごとく水芭蕉木原洋子
 水芭蕉の様子を白帆のようだと見立てることはあるかもしれないが、夢の世の白帆と断定したことで句の奥行が生じた。作者は夢の中で水芭蕉によく出会うのであろうか。心の中に引っ掛かっていたことが遂に具体的になったと考えたい。静かな佇まいの作品になった。

上着脱ぐ花栗の香に少し酔ひ島﨑芙美子
 旅先でも自宅でも構わないが、花栗の下を歩いてきたら酔ってしまったと作者は感じた。珍しい体験であり誰にでも起きる現象でないかもしれぬ。実体験だから説得力がある。ゆったりと生活をしている様子が私には窺がえる。

老鶯の声しきりなるはけの森大久保明子
 「はけの森」が分かり難いかもしれぬ。崖(はけ)沿いにしみ出る水が森を支えるところである。多摩丘陵に多くある。このような水の豊かに森であるだけに夏鴬の声も頻りに聞こえて来る。

山滴る飛ぶごと駆くる修行僧原馬秀子
 夏山のみずみずしい様子を外部からみて山滴ると見做す。そんな涼し気な山をみていたら修業僧が飛ぶように駆けている姿が見えた。

揺れざるはなく色湧ける花菖蒲日置祥子
 菖蒲園の中の多くの菖蒲の花を見渡したときの景色だろうか。何処を見ても揺れていて、どこを見ても色が湧いて見えるようである。風を感じて気持ちの良い作品になった。

釣具屋に貼紙ふえて夏に入る高村洋子
 現実には日々張り紙が増えているかもしれないが、夏に入ったことで余計増えたと感じたのである。

発掘の埴輪にまとふ麦の風岩﨑のぞみ
 掘り上げたばかりの埴輪に折からの麦の風が絡みつく。生活感が出ている。