今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2025年6月号 

葱坊主一人暮しに飽きし母 鈴木さつき
 人の一生に色々なことが起きる。その中の一つは老親の世話であろう。私は母を早く失くしたので親の介護といえば父のことになる。作者は現在お母様を遠く離れて介護されている。その気丈であった母が会えば一人暮しに飽きたと訴えて来る。子供を大勢生みながら同居できる環境になるのは難しい現実を嘆いておられる。葱坊主を前に母子共々嘆いている図である。

物の値や下がるを知らぬ四月馬鹿 北原昌子
 失われた30年といわれる日本経済は中々浮上してゆかない。賃金の上昇を物価が追い越している現実に皆さん困っておられる。消費税を減らそうという意見が議論される時代になってしまった。不満をぶつける相手に四月馬鹿を選んだことは賢明。

枝ぶりの晴々として芽吹かな 竹越登志
 気持ちの良い句だ。芽吹きによって北国の春を喜んでいるのだが、よく見ればその枝ぶりも見事であったためにさらに喜びを感じ取ることが出来たのだろう。梅の徒長枝のように真直ぐ伸びるのも気持ちがよいものだ。桂の新芽が枝に交互に張り出しているのを見るのも晴々としている。

春の夢手を振る亡夫は若きまま 小杉和子
 偕老の言葉があるように、共に老いて行くのが夫婦だ。しかし連れ合いが先に逝ってしまったときに残されたものの感情は様々であろう。私事ながら姉さん女房を見送ったときは、表現は悪いがお婆さんの死を見送るようであった。それでも妻の若い頃の面影を今も思い出しては往時を懐かしむことが出来る。作者の場合も若い姿の夫をいつまでも思い出してこれからを生きて欲しい。

ドーヴァーの崖煌めきし夏日かな 加藤くるみ
 作者は海外詠に長けている。フランス側からドーバーの崖を見ているのだろう。いつもどんよりと曇り勝ちの景色も夏日には煌いている様子を書き留めた。絵画的に仕上がった。

立子忌や孫は無類の褒め上手 菱山郁朗
 星野立子は虚子の二女。虚子に可愛がられて育てられたことは有名。家族愛のなせる結果だ。その立子忌に自分の孫が誉め上手に育ったことを知ったことでこの句が出来たとするのが一つの鑑賞。もう一つは立子の孫の星野高士に親炙して彼の誉め上手さに感心したことが句の成立の動機になったことも一つの鑑賞。何れも面白い。

灰色の薔薇のブローチ立子の忌 島﨑芙美子
 同じ立子忌でこちらは心象としては暗い作品。灰色の薔薇のブローチに立子を偲ぶ独特の感性がある。立子に謎がありそうだ。

春蟬の声か賀毗禮の静寂より 宍戸すなを
 盤水先生も世話になった俳誌「かびれ」は掲句の賀毗禮山から命名されたもの。今は人も訪れの少ない山に春蟬の声がした。

正倉院の裏をぬた場に孕み鹿 石井淑子
 神の鹿になってわが物顔の鹿の生態。天皇の倉の裏でもやり放題。

大筆の払ひ掠るる日永かな 川名章子
 大筆で文字を書いて、払いの部分を掠れさせるのは根気がいる。日永がそれを可能にした。