「耕人集」 五月号 感想   沖山吉和

 

草萌を踏めば確かな弾みあり髙橋喜子

春を迎えると庭にも野山にも道端にも草の芽が萌えでてくる。その緑を見ていると、まだ気温は低くても思わず春の到来の喜びがこみあげてくる。 お住いの庭であろうか、作者はその下萌えを踏んでみた。すると予想していた以上の弾みがあった。作者は、思わずその弾力に春の到来を実感したのである。「弾み」は作者の実体験であるとともに、春の到来の実感、そして春を迎えたことの喜びをも意味している。

芽柳や水脈のきらめく蔵の街飯田千代子

水路を小舟が通っている。過ぎ去った後は水脈の反射光が蔵の白壁に映る。川端には緩やかに揺れる芽柳。古い街並みの中で作者は確実に巡りくる季節を感じ取っている。
佐原のような水郷の明るく落ち着いた雰囲気の町の景色がすぐ鮮やかに浮かんでくる。リズムのよい取合せの句。季語が十分に働いている。

研究棟までの近道雉子走る田﨑弘吉

作者のお住いのつくば市は、かつては農村地帯であったが、数十年前から開発が進み、現在は日本国内最大の学術都市として発展している。その半面、北端には筑波山がそびえるなど周囲に自然も多く残っている。
人の行き来の少ない近道。まだ畑や林も残っているのであろう。世界の最先端の研究に取り組む研究棟と、野生の象徴としての雉子との取合せが掲句の妙味である。身近な題材を素直に句にしている。

雑魚寝せる二等船室多喜二の忌杉山洋子

多喜二忌は2月20日、特高の拷問によって残虐な殺され方をした。多喜二の代表作に、苛酷な蟹工船の中で展開する弾圧と抗争、労働者の覚醒を描いた『蟹工船』があるが、掲句はそれを踏まえての作。
今でも伊豆諸島などへの船便の中には、夜東京を発って夜明け方島に着岸する便などがある。実体験を踏まえての作か。「雑魚寝せる」が効いている。

立春の何やら楽し厨事八木岡博江

「何やら楽し」が掲句の眼目である。年を取ってくると冬の寒さはことさら応える。まだ厳しい寒さは続くものの、立春を迎えたということだけで心はうきうきしてくるものである。
作者は下五で「厨事」を取り合わせることにより、一句に具体性を持たせている。ともすると心情的に流されやすい「楽し」という語を用いながらも、この下五により一句に具象性を持たせ成功している。

測量の糸たるみなき寒の晴池尾節子

たまたま通りかかった工事現場。水糸をぴんと張って、基礎工事でもしているのであろう。作者は傍らで興味をもってその光景を眺めている。
測量用の水糸は、レンガやブロックを積む、あるいは型枠を作るといった外構工事や、建物の基礎工事をするときに使う。たるみのない細い糸、寒の晴、引き締まった凛たる冬の昼下がりの光景が浮かんでくる。作者の情感を表現する上でこのうえない適切な季語が選択された。

囀の真中に画架を組みにけり山田えつ子

囀の関連季語として百千鳥がある。囀は繁殖期における雄の求愛行動としての鳴き声を指し、一羽でも複数でも用いる。これに対して、百千鳥は、いろいろの種類の鳥があちらこちらで囀っている状況をいう。掲句においては、「囀の真中」というのであるから、たくさんの数の小鳥があちらこちらで囀っている状況なのであろう。
ともすると報告句になりがちな題材であるが、この「真中」の一語を配することにより、句に奥行や詩情が生まれ、句としての味わいを深いものにしている。

遥かより誰か吾呼ぶ人麻呂忌 山本由芙子

柿本人麻呂は、天武・持統・文武天皇に仕えた万葉歌人。陰暦の3月18日を忌日としているが、定かでないことも多い。格調の高い歌で知られ、多くの人たちにその歌は愛誦され続けている。36歌仙の一人でもある。
「遥かより」には、時間的なことと距離的なこととの両方の意味合いがある。多くの日本人に愛誦されてきた人麻呂の数々の作品であるが、万葉のふるさとに住む作者にとっては、郷愁のようなものすら感じられるほど、また特別な思い入れがあってのことなのであろう。

帰りても口ずさむなり卒業歌池田栄

中学校を卒業するくらいの年齢の子供であろうか。義務教育を終え、進路もばらばらになるだけに余計に別れが辛いのかもしれない。
「巣立ちの歌」「旅立ちの日に」など、卒業歌には名曲が揃っている。口ずさむたびに、友とのいさかいや行事の楽しさなど、在学中のいろいろな思い出が蘇ってきては寂しさを覚えたのであろう。しかし、この寂しさも大人から見れば次への飛躍のための助走でもあるとも思えるだけにいじらしい。

啓蟄やしきりに矮鶏の庭を搔く岩山有馬

ともすると即きすぎになりがちな「啓蟄」と「矮鶏」との取合せの素材ではあるが、作者は「しきりに」の一語を配し、矮鶏の動きに焦点を当てることにより、一句に質感をもたせそれを解決している。
矮鶏はもともとは愛玩用として移入された。今では、いろいろな種類のものがあるが、総じて体が小さく、羽根の彩りが鮮やかで敏捷に動く。そのような矮鶏の特徴も掲句にはうまく表現されている。

春暁や影絵となりし漁舟小池浩江

位置関係としては、作者は朝日に向かって立っている。その中間に一艘の小舟があり漁をしている。逆光の中で漁をする人の姿や舟までもがまるで影絵のように見えたのである。
湖とも考えられるが、やはり大海での景色として捉えるほうが一句は生きてくる。旅先での嘱目であろう。抑制の効いた表現の中に印象的に作者の驚きや感動が表現されている。

塗香して筆取る写経春障子中村宍粟

塗香(ずこう)は、粉末の香などを塗って身を清めること。修行に入る前や法要を執行する前などに行われる。一般的には粉末にした、抹香状の薄茶色の香を用いる。この句の場合は写経の前の儀式として行われたのであろう。
お堂の中で雑念を取り払い、香の香りの中でしだいに心を落ち着け、写経に集中してゆく作者の内面の様子がよくうかがえる。