古典に学ぶ㊹ 『伊勢物語』のおもしろさを読む(32)
    ─ 昔男と光源氏の青春の行跡 ─          実川恵子

 さらに、同じ東国章段の第十三段では、昔男は京に住む妻のもとに手紙を送って、武蔵での結婚をそれとなく告白している。それは、「聞ゆれば恥づかし、聞えねば苦し」とだけ書いて、上書きに「むさしあぶみ」と書いた謎のような手紙であった。武蔵の国特産の馬具「武蔵鐙」の「鐙(あぶみ)」に「逢(あ)ふ身(み)」を掛けて、武蔵の国で女と逢う身になったことをそれとなく気づかせたのである。よほど言いにくかったのであろう。
 一方、光源氏も明石の君と契った後、都に残した紫の上に隠してはおけず、手紙をしたためる。

二条の君の、風の伝てにも漏り聞きたまはむことは、戯れにても心の隔てありけると思ひ疎まれたてまつらんは、心苦しう恥づかしう思さるるも、あながちなる御心ざしのほどなりかし。

 明石の君との結婚のことが風の噂ででも紫の上に知られて恨まれることになっては、紫の上が気の毒でもあるし、自分も恥ずかしかろうと思って源氏はみずから告白することにしたのだが、なかなかはっきり言い出すことができない。そこで、あたりさわりのないことを長々と書いた後に、思い出したかのように次のように記した。

まことや、我ながら心より外なるなほざりごとにて、疎まれたてまつりしふしぶしを、思ひ出づるさへ胸いたさに、またあやしうものはかなき夢をこそ見はべりしか。かう聞こゆる問はず語りに、隔てなき心のほどは思しあはせよ。

 我ながら不本意な浮気をしてあなたに疎まれた時々のことを思い出しても胸が痛むのに、どういうわけかまたはかない夢を見てしまいました。こうして自ら告白することで、隠し立てのない私の誠意をわかってください、と言って、いい気なものだが、これはまさしく『伊勢物語』第十三段の昔男と同じ心境であろう。これもまた、見事な換骨奪胎と言ってよいと思う。

 『源氏物語』が『伊勢物語』の設定を取り入れていると見られる例は他にもある。たとえば、若紫の巻で源氏が幼い紫の上の姿を垣間見する場面は、明らかに『伊勢物語』初段を下敷きにしている。「若紫」の巻名は本文中に見えない語で、どうやら『伊勢物語』初段の昔男の歌の「春日野の若むらさきのすりごろもしのぶの乱れかぎりしられず」を典拠としているようである。この巻名によって、若紫の巻への『伊勢物語』初段の影響を暗示したのだろうとも言われている。試みに初段の冒頭を、

むかし、男、瘧病(わらはやみ)して、北山のなにがし寺に、加持(かぢ)にいにけり。その山に、いとなまめいたる女すみけり。

のように言い換えてみると、ことごとく若紫の巻の状況に合致する。

 そして、これは単に場面を取り込んだだけではなく、『伊勢物語』の構想を取り込んだものと見なされる。それは、後の第四十一段によって、昔男は初段で垣間見た「女はらから」の一人(姉の方)と結婚したと解されるからである。昔男は垣間見した女性を妻として、先に見た第十三段の話からもわかる通り、さんざん浮気は重ねたけれど、最も大事にしていたようなのである。紫の上と昔男の妻が重なるように、紫式部は『伊勢物語』の構想そのものを取り入れていると考えられる。

 さらに言えば、この『伊勢物語』初段の垣間見場面は、宇治十帖の橋姫の巻に描かれる宇治の大君・中君姉妹を薫が垣間見する場面にも使われていることがわかる。橋姫の巻では、初段の「女はらから」という設定が生かされている。結婚はできなかったが、薫が姉の大君の方に惹かれたというのも、昔男の場合と一致する。このように紫式部は繰り返し『伊勢物語』の同じ構想を自作に取り込んでいるのである。