コラム「はいかい漫遊漫歩」  松谷富彦

(112)虚子の戦後俳句鑑賞の肉声記録(2)

 先月号に続いて『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会―』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)から虚子が次女、星野立子の主宰する俳誌『玉藻』に掲載させた研究座談会での“肉声の記録”を見る。

 昭和21年、雑誌『世界』11月号に掲載された桑原武夫の論文『第二芸術 ―現代俳句について―』が巻き起こした第二芸術論争に泰然として「俳句も第二芸術になりましたか」と言い放った虚子。太平洋戦争が俳句に及ぼした影響をマスコミから問われると「俳句は何の影響も受けなかった」と答え、「怪物ぶりを遺憾なく発揮」(筑紫磐井)した虚子は、されば個々の戦後俳句をどう評価、鑑賞していたのか。

 阿波野青畝、山口誓子、高野素十と並び、虚子門の「ホトトギスの四S」と呼ばれながら、「自然の真と文芸上の真」の絶縁論文を発表、離脱した水原秋櫻子の作品に対する虚子の評価を研究座談会の発言記録から拾う。

[第53回研究座談会]

鷹の影岨を落ちゆき与瀬遠し水原秋櫻子

虚子 『鷹の影岨を落ちゆき』はうまいです。新しくもあるし、よく景色が出てゐます。『与瀬遠し』といふのも悪くはないが、調子から言って、一寸腰折の感じはないか。ずばっと一本調子に入ったらどうですか。

妻病めり秋風門をひらく音秋櫻子

虚子 この句はいいと思ひます。『秋風門(しゅうふうもん)』と読んだ方が、いいかもしれん、感じから言って。今迄の二三句とはちがふ。感じがよく表れてゐる。支那の詩みたいですね。感じがいい。

[第28回研究座談会]

かなしめば鵙金色の日を負ひ来加藤楸邨

虚子 [何故こんな気負って作らねばならないか(星野立子)]昔から私に句を見せる人の句は見てゐます。見せない人の句まで見る暇がない。楸邨といふ名前は聞いてゐるし、一度来たこともあるので人は知ってゐるけれど、一家をなして独立してやってゐるから、その句は全く見なかった。今初めて其句に接して、かふいふ感じは我々の感じと根底から違ってゐると思ふ。

虚子 [研究するのに広く見る必要がある(立子)]それはそうだ。併し私は仲間の句を見るだけでいっぱいだ。芭蕉も他門の句と言って敬遠している。写生的でない。写生的な句を強調してゐる吾らにとっては門外の句だ。(敬称略 次話に続く)

(113)虚子の戦後俳句鑑賞の肉声記録(3)

  第59回研究座談会で取り上げられた日野草城は、29歳で「ホトトギス」の同人になったが、その5年後、新婚初夜をモチーフにしたエロティシズム溢れる連作「ミヤコホテル」十句を『俳句研究』に発表、俳壇のスキャンダル事件となる。そんな騒ぎの中で第三句集『昨日の花』にこの連作を入れたことから花鳥諷詠、客観写生を唱える虚子の逆鱗に触れ、同人を除名される。昭和10年、『旗艦』を創刊、主宰し、新興俳句の中心となるが、晩年にはホトトギス同人に復帰した。

 [第59回研究座談会]

女手に注連飾り打つ音きこゆ日野草城

虚子 この句はいい句だ。

虚子 [(病臥の)草城の境涯を知って同情的に見なくても十分鑑賞できる(深見けん二)]さうです。

静臥時のラヂオ職業案内を草城

虚子 句には季といふものがなければならんといふ考へをもってゐますから、斯ういふのは俳句でないと思ってをる。かりに十七字詩(?)としたならば差支へないでせう。無季の句に面白いものもありませう。それは仮に十七字詩とでも称へればいいです。(中略)或は、俳句を非常に広いものにしまして、碧梧桐、井泉水等のものも俳句だと強いていへば言へないことも無い。併し私は、俳句といふものは、何処までも季題の入ったものと考へてゐます。

 [第30・47・24回研究座談会]

焼跡に残る三和土や手毬つく中村草田男

虚子 いいでしょう。平凡のやうに叙してあって、平坦であって感じが出てゐる。いい句です。

伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸草田男

虚子 わからんことはない。

虚子 [稼ぐは如何ですか(けん二)]まあ、いいでせう。作者の主観が多少露骨なのが厭だ。

蟾蜍長子家去る由もなし草田男 [『長子』より]

虚子 これはホトトギスにも取ったやうに覚えている。併し蟾蜍と下十二字の感じとがしつくりしない。本当の描写にならずに矢張り思想が露骨に出てゐる。

私の好きな句は、やはり 

降る雪や明治は遠くなりにけり草田男  [『長子』より]

『明治は遠くなりにけり』といふ叙情は陳腐だが、『降る雪や』と置いたところが、景色と其感じとが極めて適切で、悠遠な感じが出てゐる。(この項終り)