「晴耕集・雨読集」9月号 感想 柚口満
鱧つつく妻送りたる者どうし朝妻力
小生は関西出身であるが掲句に出てくる鱧の料理は断然関西が美味で東京をはじめ関東地区で美味しい鱧に出会ったことがない。これは鱧が瀬戸内海や四国、九州の沿岸で獲れることが関係しているかとも、思うが食習慣もあるのだろう。梅雨明け近い頃から1か月間ぐらいが旬で、祇園祭や天神祭に近い事から祭鱧という傍題もある。さてこの句は奥様に先立たれた者同士が鱧料理を食している図である。どんな内容の会話に及んだかは計り知れないがしみじみとした情感が流れる一句。淡白な鱧をつつく、という行為が秀逸。
高空へ風を漕ぎゆく黒揚羽生江通子
俳人の作句の楽しみは四季に渡って句が作れることにあるがそのなかでも季節の蝶の動きを観察することも嬉しいことのひとつである。初蝶の黄や白の初々しさ、そしてこの句に代表される黒揚羽のような大型で美しい模様の夏の蝶がいる。問題はその活発な活動をどう表現するかにかかってくる。
この句で感心するのは上五から中七にかけてのダイナミックな表現描写が的確で、黒揚羽の悠然たる飛翔が余すところなく捉えられている。「風を漕ぎゆく」とはなかなか詠めないものだ。
袈裟懸けに雨切つて飛ぶ夏燕児玉真知子
燕そのものは渡来してきた春を季語とするが、夏を中心とする半年前後を日本で暮らし、その間2度ほど産卵をして子育てに励む。その行動が顕著であるのでついつい夏の季語だと思ってしまう。
その夏燕を詠んだのが掲句、雨の中をついてまるで袈裟懸けのように横切ったという。袈裟懸けの語源は僧侶が袈裟を肩から反対側の腋下にかけ覆うとの意であるが、転じて刀を斜めに斬りさげることにも使われるようになった。あの燕が急旋回する秘技のからくりはしらないが「袈裟懸け」の言い回しにそのスピード感が良く出ていると思う。
早苗饗の酔ひを分かちて老いてをり鈴木志美恵
田植えを終え田の神を送る祭が早苗饗であるが現在では転じて田植えが終わったお祝い兼慰労会になっているところがほとんどと聞く。
田植えに従事した家族、近隣の人達が寄り合いお酒を酌みあい美味しい料理で祝うのであるが、この句は最近の早苗饗の在り様を示唆しているようで感じ入った。どの農家でもそうだが農作業に就く人の年齢は年ごとに上がる。掲句の「酔ひを分かちて」にお酒の飲みようが偲ばれ、そこには昔のような早苗饗の賑わいはない。老いをお互いに認めながらの静かな宴席を詠んだ佳句である。
田の隅に色濃かりけり余り苗坂下千枝子
広い水田に早苗を植え終わり、余ってしまった苗を余り苗という。よく植田の四隅などをみるとこの余り苗がひと塊に括られたまま植えられているのに気がつくことがある。
この句の作者は、その余り苗が田の隅で育ちながら青々と茂っているのに注目、他の青田の稲に比しても色の濃いことに一抹の不安を覚えた。ここまで育った余り苗も束のままではおそらく順調に育つ保証はない。色濃く育った余り苗ではあるがそれだけに哀れも深い。
夜濯や音おきざりに終電車市川春枝
日中の汗の衣類を夜に洗濯し干しておくと朝には乾く。独り暮らしの人や仕事を持つ主婦などはこの夜濯ぎをされる方も多いと聞く。掲句はその夜濯ぎを情感深く詠まれている。午前零時過ぎの終電車の音の描写がうまい。慌ただしく過ぎた1日を振り返りながらの簡単な夜濯ぎにえもいわれない忬情が流れる。
蟇初見参と畏まる窪田季男
この句はわずか文字にした8字しか費やしていないが季語の蟇(ひきがえる)の様子を見事に、そして面白く捉えている秀作である。暗褐色の背に疣がありその鈍重な動作や外見が人に嫌われる面もあるが作者の庭にはじめて現れた蟇は両手を揃えて畏まり、今にも口上を述べる様だったという。ユーモアな一面である。
栗咲いて辺り重たき気の満つる冨田君代
小さい頃は田舎育ちで栗の花とは馴染みがあったが都会に出てからはあまり見る機会がなくなった。6月ごろに淡緑色の花が青臭い独特な匂いを放つ。
この句は梅雨時の重い空気のなかの栗の花の匂いを重たき気の満つる、と的確に詠み込んだ。
かんかん帽被りて夫の若返る原田みる
いまでこそ町なかでカンカン帽を見ることは少ないが大正時代には紳士の外出時の必需品だったという。麦藁を平らにつぶし仕上げたこの帽子を被った旦那さんが若返って見えたと詠んだユニークな一句。世の中、帽子が似合わないと思い込む男性が多いと聞くが、チャレンジしてみては如何か。
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