「耕人集」10月号 感想  沖山志朴

のどごしの良きものばかり暑に耐ふる 林美沙子

 今年の夏の暑さは、異常であった。それぞれの人が、生活の状況に応じて様々に工夫を凝らし、暑さを乗り切った。掲句の作者は、喉越しの良いものを選んでとにかく食べるようにして、体力の衰えを防ぎ暑をしのいだという。
 中七の後に「選んで食べるようにして」という意味が省略されている。この省略に作者の工夫が窺える。下五の「耐ふる」は「耐ふ」の連体形である。これは間違いではなく、江戸時代よりこのように係り止めでなくとも連体形で終わる例が見られるようになり、今日でも使用例は少なくない。  

雨去りて雷鳥のひな散らばりぬ 深沢伊都子

 登山を趣味の一つにされている方なのであろう。急な雨、体温の低下を防ぐために親鳥の体の下に避難していた雷鳥の雛たちが、雨が止むとまたそれぞれに散って採食行動に移った時の情景である。
 雷鳥の雛は孵化した時にはすでに羽毛に包まれている。その羽毛が乾くころには早くも歩くことができるようになるという。そして、間もなく採食行動に移る。高山での楽しみの一つは、このような珍しい動物の姿や植物に出会えること。貴重な瞬間を感情を抑えつつ衒うことなく冷静に表現している。

麻酔醒む窓辺に白き夏の月 松井春雄

 全身麻酔をかけて、大きな手術をした後なのであろう。まだ麻酔が完全に覚めきらない状態か。ふと窓を見ると白い月が出ている。
 上五で一旦切ることで微妙な心理を表現している。作者の脳裏には、今後の健康への期待や不安など、様々な思いが沸きつつあるのであろう。これからのまた新たなる人生を象徴する心象の月の白でもあるように受け取れる。    

梅干せば母の声する日和かな 竹越登志

 日和を得て、梅を干していると、どこからともなく亡き母親の懐かしい、指示する声が聞こえてくるような気がするという。
 生前、事細かにおいしい梅の作り方を教わったのであろう。素朴で素直な詠みぶりが功を奏した母恋いの叙情句である。「干せば」は已然形。最後の「かな」の切れ字も功を奏している。

休暇明転校生の空き机 鈴木知子

 事情があって、夏休み期間中に転校していった生徒なのであろう。慌ただしさに、級友たちに最後のお別れのあいさつをするゆとりもないまま転校していったのかもしれない。その机だけが取り残されたように一つ目立つ。
 教職に就いている方なのであろうか。以前の指導の場面を懐かしく思い起こすとともに、新しい学校にうまく適応できているであろうかという心配も脳裏をよぎっているのかもしれない。寂しさの残る別れの句である。  

銭湯の桶の響きや夏の月 中垣雪枝

 子供のころ、よく銭湯に通ったという方も少なくないであろう。筆者もその一人。限られた空間の中に響き渡る湿りを帯びた桶の高い音や、風呂を浴び終えて外に出た時の爽快感は今でも懐かしい。
 掲句の作者も、子供のころの銭湯の桶の響きが耳底に染み付いているのであろう。銭湯の前でふと立ち止まる。旧懐の念が湧いてくる。今では人々の生活もすっかり変わったが、空には変わらぬお月様。聴覚と視覚の取合せが見事な句である。

鎖場の先に湧き立つ雲の峰 渋川浩子

 状況としては、作者が鎖場の下に立ち、上を見上げている場面であろう。その鎖の先には、力強い夏雲が次々と湧いている。作者には、ずいぶんと高い鎖場のように見える。天候の急変も心配されるところ。
 うまく登り切れるであろうかという不安とともに、登り切った先には、また新しい世界が開けるであろうという期待感も感じられる。複雑な心境の反映された夏山での句である。
 
海霧湧きて磯の香りの濃くなりぬ 須藤真美子

 海上から広がってきた霧が、あたり一帯を包む。すると、急に磯の海藻や貝の香りが濃密に漂ってきたという感覚の句である。
 干潮の時間を迎え、岩が剝き出しになると潮や磯の香りは強くなる。掲句においても、干潮の時間を迎えたのかもしれない。視界が閉ざされると、周囲の状況を知ろうとして、他の感覚が鋭敏になることがある。視界に代わって、嗅覚が鋭くなったものとも考えられる。心理的なものが多分に作用している句と考える。