「耕人集」 4月号 感想  沖山志朴

冬霧の晴れて俄に街動く山田えつ子

 冬霧が立ち込めた朝、霧が晴れていつもの街の様相に変わってゆく束の間の変化を、視覚と聴覚を働かせながら巨視的に捉えた句である。
 朝日が差し始めると、霧はたちまち消えてしまう。視界が開け、周囲の様子が視覚として捉えられるようになると、聴覚とすぐに一体化し、人や車が立体的に動き出す。その束の間の状況の変化を掲句は「俄に街動く」と表現している。珍しい自然現象のシャッターチャンスを俳人の目でしっかりと捉えている。  

佐保姫の籠る気配のそよぎかな中谷緒和子

 匂いからであろうか、頬を撫でてゆく感触からであろうか、吹いてくる風のわずかな変化に、作者は春の到来を感じ取っている。掲句の斬新さは、草の芽でもなく、梅の香りでもなく、春先の風の微妙な変化から佐保姫の気配を感じ取ったところにある。
 古来、日本人は、秋の初めの風の葉ずれのわずかな音の変化から、敏感に秋の気配を感じ取っては、それを和歌という表現形式で表してきた。掲句の新しさは、春の微妙な風の気配を、大胆に言葉を省略しながら、俳句としての形式にしているところにある。

寒林に人声のして人見えず鍋島こと

 まるでマジシャンの不思議に遭っているような句である。理屈からするとこのようなことは起こりえないであろうが、俳句にすると、そこに詩的な情趣が生じてくるから不思議である。
 かなり広い寒林で、遠くの声が澄んで響いてきていることが考えられる。また、太幹の影に隠れて子供たちが遊んでいることも考えられる。寒々とした冬木の林、しかし、そこに人がいるのは確かであり、その温もりが作者には伝わってきている。理屈を超えたところでさまざまに想像ができ、そこに詩的な要素が生まれてくる面白さのある句である。    

地吹雪の村八方をつつみ込む本間ひとみ

 今冬の日本海側の大雪では、死者が出たり列車が動かなくなったり、また、高速道路が閉鎖されて経済活動に大きな支障をきたしたりと、大変な騒ぎとなった。作者がお住いの佐渡においても水道管があちらこちらで破裂し、長期にわたり水が出なくなったりするなど、被害は甚大であった。
 高幡不動での春耕の新年大会にも雪の影響で、佐渡からの参加者数名が参加できなくなるというアクシデントもあった。その影響で佐渡おけさの見られない懇親会は寂しい雰囲気のうちに終わった。掲句の「村八方をつつみ込む」は、間断なく吹き寄せる地吹雪の激しい様相の形容である。人々の不安な心境が伝わってくる。

大口に荒縄嚙ませ鱈まつり成沢妙子

 毎年1月に開かれる鶴岡市での「日本海寒鱈まつり」の一齣。観光協会の案内によれば、鶴岡だけでなく、近県の特産品や冬の味覚も販売されるという。さらに、寒鱈汁の食べ比べ、太鼓の演奏や歌、音楽なども披露され、人出も多く、厳寒期ながらもたいへんな賑わいであるとのこと。
 掲句の大鱈は、物産展で吊るし売りをされている鱈。「荒縄嚙ませ」という表現から海の男たちの祭の荒々しい雰囲気や活気までもが伝わってくる。閉じこもりがちな冬の雪の中での生活、多くの人々が心を交わしあう貴重な交流の場なのであろう。 

楪や跡取りの無き峡の家佐藤照子

 楪(ゆずりは)は、新年の季語。葉は新年のお飾りの一つとして用いられる、と聞けば、思い出す人も多いであろう。新しい葉が生長した後に古い葉が落ちるところから、正月の縁起物として用いられる。
 子供たちは、それぞれ故郷を離れて生活し、跡を継ぐ者がいないのであろうか。「峡の家」の下五からは、子供たちが帰ってこないことは寂しいが、現状の村の暮らしや産業を考えると止むを得まい、という諦念のようなものすら感じられる。今、大きく変わりつつある日本の社会構造。その中での過疎となった地域の人々の嘆きを象徴する句でもある。

寒天を晒し一村静まれりうすい明笛

 寒天作りは、すでに江戸時代に始まっていたとのこと。乾燥した天草を煮て固めたあと戸外に並べ、晒し、10日間ほど昼夜の凍結・乾燥を繰り返す。強風がほとんど吹かず、雪が少なく、乾燥した気候の地が寒天作りには最適とのことである。掲句は、長野県か岐阜県の小さな村の光景なのであろう。
 一日の作業が終わった。先ほどまでせわしなく働いていた人たちの姿も消え、今は、静まり返った作業場に一面に干された寒天だけが輝いているという情景である。静寂の中の光の世界が見事に描かれている。