「耕人集」 5月号 感想 沖山志朴
青き踏む足裏より湧く旅心平向邦江
「青き踏む」は、そもそもは中国の「踏青」の風習を指す。春先の青草を踏みながら野や山を散策する行楽の意である。しかし、掲句は、その伝来の行楽の広い意味での句ではない。「足裏より」と続く中七から分かるように、作者の実体験としての踏青なのである。
足裏のわずかな感触が誘発する旅心、この飛躍こそが掲句の魅力である。そのわずかな足裏の感覚から旅の願望へと内面が飛躍転回してゆく、広がりのある句である。まさに冬期の閉塞感から精神が解放されてゆく句といってもよいであろう。
奪衣婆を担ぐをみなら針供養青木隆
新宿区にある、正受院での作であろうか。珍しいことにこの寺では、2月8日の針供養の日に、小さな奪衣婆尊を祀った神輿を女性たちが担ぐという。この寺に伝わる奪衣婆尊には、子供の咳封じや虫封じなどの霊験があるとのことである。この日も、家内安全をも願って、伝統化された法要が執り行われた。
針供養の句は、ともすると豆腐に針を刺す供養の場面ばかりに集中しがちである。神輿を担ぐ女性たちに素材を得たところでこの句は成功した。
前山の風の声聞く春障子坂本幸子
季語が効いた句である。「風の音」ではなく「風の声」と擬人化して表現したのも効果を発揮している。一句の調べもリズムよく流れている。
作者は、障子のある部屋の中にいる。外の世界は見えていないのであるが、それを媒介しているのが春障子。春障子の明るさが、前山の春の訪れの風の音を明るく優しく伝えてくれる。それを聞きながら作者の心は浮き浮きしてくる。「風の声」の措辞に季重ねを避けようとして、言葉を吟味している作者の呻吟の声が聞こえてくるような気がする。
犬ふぐり光の渦の隠れなし山本聖子
犬ふぐりは畑の畔などに固まって咲くことが多い。小さい花ながら、春先のもの寂しい景色の中では、それは人目を引く。風が吹くと、その花叢が、一斉に揺れる。掲句は、その風に吹かれながら揺れ継ぐ犬ふぐりの花の様相を実感として捉えている。
日に当たった沢山の小花が右に左に揺れ動く様子が「光の渦の」の中七である。一ところの景色の明るさや動きを短い言葉で的確に表現していて印象深い。
参禅の閉ぢし眼あけて聴く初音杉山洋子
座禅堂で、今まさに無念無想の境地に入ろうとする作者の耳に聞こえてきたのは、鶯の鳴き声。初音だと気づいた作者の関心は、禅の境地から現実の鶯の鳴き声の世界へと引きずり出される。
雑念を振り払い、禅の夢想の境地に入ろうとする作者が、鶯の鳴き声によって心を乱し、薄目を開けては、俳人としての興味関心にうち負かされゆくところに俳味が感じられる。
黒土のゆるんでをりぬ牡丹の芽春日怜子
「ぬ」は、動作や作用が推移し、完了したことを表わす助動詞である。しばらく見ない間に、庭の黒土が割れ、中に牡丹の赤い芽らしきものがわずかに見えている状態を表現している。
はっきりと芽を出した状況ではない。撒いておいた黒土の間にそれらしき兆候を見つけ、それを見逃さずに詠ったところがあっぱれである。明日にでも芽が出てくるのではないかと作者の期待は弾んでゆく。中七に作者の表現の苦労の跡が窺える。
地を歩く小鳥の増えて春めけり菅原安太郎
時期としては、啓蟄を過ぎたころであろう。土の中から出てくる虫が日ごとに増える。すると、それを餌とする椋鳥や鶫などの小禽類が、数多く地上に降りてきて、活動するようになったのである。
急に賑やかになってきた地上の鳥の様子を描くことにより、北国の春を待つ人々の素直な喜びを伝えている。明るく素直な詠みぶりの句である。小鳥と春めくの季重ねがやや気になるところであるが、さらに言葉を吟味するとこの課題も解決できよう。
瓔珞の揺れも包みて雛納安奈朝
瓔珞(ようらく)は、珠玉や貴金属に糸を通した、頭、胸、首などに掛ける装身具である。中七の「揺れも包みて」は、揺れているものもそのまま紙に包みくるんで、の意。省略が詩的効果を生んでいる。
雛納の句は、その時期が来ると多く作られる。類想句が多い中で、掲句は独自の素材選びをしたユニークな句である。これも実体験を通しての写実の強みであろう。
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