「耕人集」 9月号 感想         沖山志朴

笑ひヨガまねて笑ひて梅雨ごもり林美沙子

 インドでたった5人で始めた「笑いヨガ」が、いまでは世界105か国にまで広がっているという。実際に、30秒間笑うだけで、血流量の増加による脳の活性化が起こり、気分爽快になるということが医学的にも立証されているともいう。
 今年の梅雨は長かった。また、新型コロナの影響などもあって家に閉じこもりがち。作者は、そのような沈みがちな気分を少しでも奮い立たせようと、笑いヨガをまねては一人笑っていたのであろう。いろいろな工夫をしながら、異常なこの世の状況を何とか乗り切ろうと努力している姿が投影されている。 

植田見るパジャマ姿の夫の夢高橋ヨシ

 「夫の夢」から推測するに、ご主人は亡くなられたのであろうか。その亡き夫が、早朝の田んぼの畦にパジャマ姿で立っては、しげしげと稲の育ち具合を眺めている。そこで、作者は、はっとして夢から覚め、寂しさに襲われたのであろう。
 熱心に稲を耕作し、毎年その育ち具合を細やかに観察しては、喜んだり、悲しんだりしていた方なのであろう。パジャマ姿であったというところに、耕作への熱心さが象徴されている。米どころの長岡にお住まいの方の作。

近づけば十薬の白さんざめく渋川浩子

 まるで、カメラによる映像の変化を見ているような句である。最初は遠景の白、その白に向かってカメラは静かに移動してゆく。やがてズームアップされたその先にあるのは、十薬の白い花。近づくと、その花の一つ一つが、まるでさざめき合うかのように風に揺れ、声を立て合っている。
 下五の「さんざめく」の措辞が一句を印象付ける。これにより、白い花が風に揺れ合う様子、密集するように咲いている様子などが映像化される。

問ひかけに知らぬ存ぜぬ蟇宮沢久子

 実にユニークで、俳味溢れる句である。歳時記を開けば、鳴き声、容姿や体の部位や表情、動作、交尾、存在する場所、うっかり踏んでしまった時の状況など、蟇の様々な様相が取り上げられている。掲句においては、人と蟇との内面でのやりとりを面白おかしく取り上げているのが特長。
 「今までどこにいたの?」「どこへ行こうとしているの?」「名前は?」等々、そのやりとりが聞こえてくるようで楽しくなる。 

少し戸を開けて子燕見守りぬ須藤真美子

 日本人には、昔からなじみの深い、愛され、親しまれてきた燕であるが、近年、少し置かれている状況が変わってきている。筆者の住む近くの商業施設でも、衛生上好ましくないという声があってか、2、3年前まではいくつも見られた燕の巣が、今年は全く見られなくなってしまった。建物に巣が作られないように防護しているからである。右往左往している燕の姿が見ていて何ともいじらしい。特に今年は、新型コロナウイルスがコウモリから発生したという説が流布したこともあり、その防御は厳重であった。
 「少し戸を開けて」に、燕に対する温かいまなざしが感じられる。家族全員でその成長を温かく見守っているのであろう。昔から、燕は災いや厄難から家を守ってくれるなどと言われる。きっと燕が幸をもたらしてくれるに違いない。  

梅雨晴間一人で笑ふ時もあり 佐々木美樹子

 今の世の中を見るに、新型コロナウイルス、異常気象、台風、経済の低迷、倒産などなどまさに異常づくめといっても過言ではない。そして、人と人との交流もままならない事態。
 いろいろなプレッシャーの中で、ついつい人の心も沈みがちに。堪えに堪えていたものが、ある時、意外な形で表出されることもあるであろう。掲句の「笑ふ」もそんな追い込まれた心理状態の果ての行動であるとも読み取れる。表現としても意外性のある、面白い句となった。

梅雨しとど遅れがちなる一輌車結城光吉

 数年前、地方に観光旅行に行った折、都会感覚で気楽に構えてろくな下調べもしていなかった筆者は、ローカル線の本数の少なさに驚かされるとともに、己のうかつさを嘆くこととなってしまった記憶がある。
 都会への人口集中で、地方が大きく変わった。このローカル線も極端に本数が減るとともに、車両数も削減されてしまったのであろう。今年のような長梅雨だと、土砂崩れ等の心配もあり、運転も慎重にならざるを得ない。地方に住む方の郷土を愛するが故の心細さが伝わってくる句である。