「耕人集」  11月号 感想         髙井美智子 

渡良瀬の風の中なる秋桜平田姓子

 渡良瀬は、明治20年代、渡良瀬川の最上流部に位置する足尾銅山より流出する鉱毒の排水による被害が大きくなり、谷中村に住んでいた田中正造を中心に農民の鉱毒反対運動が盛り上がった。政府による強制廃村となった谷中村の墓などの史跡が保存されている。
 「渡良瀬の風の中なる」の措辞により、葦で覆われた渡良瀬遊水地の荒涼とした様子を表している。ここに地元の人達が秋桜を咲かせている情景を詠まれた句であるが、過去の歴史を知る作者が思いを馳せて詠み込んでいる。先人たちの鉱毒反対運動のおかげで、100年を経て秋桜が美しく咲くまでに至った。  

是非もなく転院を決め髪洗ふ平照子

 重篤な病を抱えた身内の方の転院の決断の緊迫感がひしひしと伝わってくる。病を乗り越えるためにより良い対応策として、「是非もなく転院」を決めて帰宅した作者。様々なことが頭に渦巻き、自問自答を繰り返すばかりである。強さと弱さの入り混じった作者は、髪を洗うと踏ん切りがついたように思えた。「髪洗ふ」の季語の選択が秀逸である。                                  

星月夜真珠筏の海平ら森安子

 三重県の志摩半島はリアス式海岸で、山々に囲まれた潮の流れの穏やかな英虞湾は、台風などの被害を受けにくく真珠の養殖がさかんである。筏に吊したあこや貝は環境に敏感な貝であるため、台風の時は船に揚げたり、貝を磨いたりもする。この穏やかな海で美しい真珠がゆっくりと育つのである。
 さて掲句は、月明かりが照らされた静かな海を「海平ら」の措辞で端的に表すことにより、情景をより鮮明に言い当てている。筏の下のあこや貝に月の光が届き、真珠が静かに育っている神秘へ想像力を搔き立てられる。美しすぎるこの景をしっかりと捉えた写生句である。

伊吹見ゆ門川に浮く大西瓜山下善久

 門川に西瓜を冷やしている昭和を思わせる長閑な光景である。裏山から流れ出る冷たい水を今も利用して大西瓜が冷やされている。伊吹嶺を見渡せる里の大らかな嘱目吟である。 

敬老日六畳丸く掃きにけり青木典子

 敬老日を詠った類想のない俳諧味のある句である。「六畳を丸く掃く」の措辞に様々の想像が膨らんでくる。隅々まで掃かなくても誰からも注意されない。足腰が弱くなり、丸く掃くことも許される齢となったなど、遊び心が窺え微笑ましくなる。「敬老日」の季語との取り合わせの利いた佳句である。   

昼寝子の妊婦の腹に顔預け船越嘉代子

 2人目の子を授かり、まだ幼い長子は母親の大変さなどお構いなく甘えてくる。平気で腹の上に乗ってくると、おなかの赤ちゃんが潰れるのではないかと心配するほどである。腹の上に顔を預けての昼寝子の寝息は体内の赤ちゃんと呼吸を合わせているようだ。
 日常の何でもない安らぎの景であるが、記念の一句となった。

新藁を投げれば上で摑む夫高橋ヨシ

 息の合った御夫婦の農作業の一齣の活写である。稲穂から籾をとった新藁で藁塚を仕上げている作業であろう。棒を中心に円筒形に積み上げる藁塚は、天辺近くなると脚立に登り、下から新藁を投げてもらう。収穫の喜びと安堵感から生まれた臨場感のあふれる秀句である。

雨に濡れぬかづく萩を抱き起こす日浦景子

 今が盛りの庭の萩が雨に濡れ重くなりぬかづいている。まるで子供を抱き起こすかのように萩を抱き起こした作者。長年育てている萩への愛情が伝わってくる。

月山の霧下りて来し弥陀ヶ原 小川爾美子

 弥陀ヶ原は月山へと続く登山道の8合目あたりにある湿原である。池塘が点在し、四季折々の高山植物が咲く。
 月山から下りてくる霧は瞬く間に広がってくる。掲句はこの霧が流れ込む自然の雄大さを上五から中七にかけて流れるようなリズムで詠っている。この霧の中を月山へ参拝する登山者が消えてゆく光景も見えてくる。弥陀ヶ原から月山頂上への登山は、遥か彼方へ延々と続く修験道である。