「耕人集」 9月号 感想 髙井美智子
故郷の海の匂ひや心太石本英彦
心太の歴史は古く、天草を煮溶かす製法は遣唐使が持ち帰ったとされる。天草は赤紫色をしているが天日で乾燥すると、退色して白色になる。西伊豆の海岸などで天日干しをしている景をよく見かける。
作者の故郷は海辺にあり、庭先に天草を干していたのであろうか。東京の深大寺の木陰にある茶屋の心太は、レモンの香りが絶妙な涼しさを醸し出している。作者の嗅覚は心太を戴きながら、故郷の海の匂いを感じ取った。故郷の海の思い出が駆けめぐったことであろう。
苔に落つ皆上向きに沙羅の花居相みな子
沙羅の花は夕方には散る儚い一日花である。翌朝には真っ白な傷もない状態で落ちている。作者は苔の緑と沙羅の花の白の清楚なコントラストに目を見張ったことだろう。沙羅の花は沙羅双樹とも言われている。京都の東林院は「沙羅双樹の寺」と呼ばれており、梅雨の季節には掲句のような庭を拝観することができる。
早朝に修行僧が横向きや裏返っている沙羅の花を丁寧に上向きに返していた光景を見たことがある。掲句からこのような修行僧の心配りへ思いを馳せることができた。
樹々を抜け風の高みへ夏の蝶横山澄子
夏の蝶はぐんぐん高く飛び、屋根を越えたりもする。山の斜面などでは、下から大きな樹々を抜けだすように飛ぶ。五感を働かせて夏の蝶を写生していた作者は、風を感じ取り中七の「風の高みへ」と捉えることができた。夏の蝶がたおやかに風に乗っている姿が髣髴としてくる清々しい作品である。
庭隅の浮き立つ白さ半夏生草小島利子
半夏生草は梅雨の頃に繁殖する。庭の隅で目立たなかった半夏生草が、たっぷりの雨に育まれ、緑の葉に清楚な白の斑入りが現われると浮き立つように見えた。
ゆっくりと庭を眺めている作者の心豊かなひとときも感じられてくる。
鬼百合の咲きて静まる里の午後岡田清枝
鬼百合は外側に反った赤橙色の花びらが赤鬼のようであることから、この名がつけられている。
暑い真夏に疲れもみせず咲いている。夏の午後の無風状態の辺りの情景を「静まる里の午後」と情緒的に見事に詠みあげている。鬼百合は暑さの中潔く咲いており、花の強さを引き出す句に仕上がっている。
暑さに耐えている作者も、鬼百合に励まされ心も静まっているように思える。
山小屋の梁に蝿とりリボンかな井川勉
昭和の半ば頃迄はどの家にも蝿とりリボンがぶら下がっていた。冷房がなく窓や出入り口を開けっぱなしにするので、台所などに蝿が入ってくる。蝿叩きなどの様々な蠅取り用具を使っていた。
山小屋は自然の風が冷房であり、窓から蝿が侵入する為、蝿とりリボンを使っているのである。昭和を思い起こさせる懐かしさでいっぱいになった作者。1匹の蝿も飛ばない近代的な生活様式に甘んじていた作者にとっては、驚きの光景であった。
事実を素直に詠ったことにより驚きが強調される句となった。
すれ違ふたび挨拶す蟻の列安武豊
子供のように蟻の列を飽きずに観察していた作者は、蟻の小さな動きに親近感を覚えた。蟻は列に沿い、忙しく往き来している。すれ違う時はどちらかが道を譲る場合もある。大きく首を振ることもある。これを作者の独自の観察力で、上五から中七にかけて「すれ違ふたび挨拶す」と詠った見事な一物仕立ての句である。
松尾芭蕉の言葉を書き残した『三冊子』には「俳諧は三尺の童にさせよ」とあるが、作者の物を見る姿勢に学びたい。
石ころにじやれては離る金魚たち高橋ヨシ
水槽の金魚は休むことなく動いている。毎日こんな狭い水槽の中で、飽きることがないのかと不思議になる。狭い空間では石ころさえも遊び道具になっているようだ。石ころにじゃれているように見えた作者の観察力がユニークである。
諍いもなくじゃれている金魚たちに優しい愛情の目が注がれていて微笑ましい。
波の声繰りかへし聴く沖縄忌諸喜田邦夫
沖縄の方が詠まれる沖縄忌は、真摯に受け止めなければと思う。この句の上五が「波の音」ではなく「波の声」という措辞で表したところに深い意味がある。沖縄戦争で亡くなられた方達の悲しみの声とも、空襲下で叫んでいる人々の声とも思える。「声」という一文字が様々な広がりをみせる感慨深い句となった。
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