「耕人集」 1月号 感想 髙井美智子
塔よぎる一刷毛の雲秋惜しむ廣仲香代子
作者は同時期に「吉野路や夕日の色の柿たわわ」の句を詠んでいることから、掲句の塔は古都の奈良であろう。澄み切った塔の上を感慨深く眺めていると一刷毛の雲が過った。「秋惜しむ」の季語で吉野路の旅情が醸し出されている。
落鮎の行く手に沈下橋の数峯尾雅文
落鮎は産卵を控えた鮎であるが、雌はお腹が膨らみ、鉄が錆びたような色になってくる。産卵のために川を下る落鮎の行く手には次々と沈下橋があるのだろう。昭和の初めの頃築かれた橋は大水の時には浸ってしまう沈下橋が多い。沈下橋を素材にしたことで大きな川の流れの景が浮かびあがってくる。この川の流れを知り尽しているからこそ詠めた句である。
落鮎に待ち受けている厳しい定めも暗示する句となった。
寝たる子の手から転がる木の実かな野尻千絵
小さな手で握りしめた木の実が、眠りに落ちいった子の手からぽろりとこぼれたという秋の夜のささやかな出来事である。昼間は夢中になって木の実を拾ったことだろう。作者も疲れきって一緒に眠りについた。この幸せな一齣を大切に詠みあげた愛情溢れる句である。
小鳥来る塵ひとつなき禅の寺野村雅子
禅寺の修行僧たちは朝四時から五時頃に起床する。「起きて半畳、寝て一畳」という言葉通り修行僧は僧堂の一畳で寝て、朝にはそこで坐禅を組む。明けやらぬ廊下を走り雑巾がけをする。永平寺などの塵ひとつない廊下の輝きは心が洗われる。
鎮まりの禅寺に小鳥がやってきた。作者はこの静けさに浸り、一服の至福の時をありがたく賜っている。作者の生き方まで伝わってくる秀句となった。
しぐるるや海に切り立つ親不知結城光吉
親不知は、新潟県糸魚川市の西端の海岸に断崖絶壁が連なり狭い砂浜が続いている。古くから交通の難所として知られている。 この断崖絶壁を「切り立つ」という措辞で見事な省略の効いた表現となった。また厳しい難所の景を「しぐるる」の季語を使い成功している。糸魚川方面に出向いた折には、この難所の浜に足を踏み入れてみたいものだ。
海老蔵の余韻いつまで小夜時雨宮沢久子
市川海老蔵の「源氏物語」が各地で上演されているが、作者はこの演目を観劇したのであろうか。歌舞伎、能、オペラの芸術を一つの舞台に融合し話題となっている。作者は観劇後、海老蔵の光源氏の立ち姿や研ぎ澄まされた所作が忘れられないものとなった。またそれは、華やかで艶やかながらも心の闇を表現しており、「小夜時雨」の季語でその闇を言い当てているようだ。
春耕誌では実川恵子氏が「源氏物語」を連載しているが闇の世界まで繙いており、目が離せない。
祇王寺の昼を音なく落葉散る中谷緒和
祇王寺は竹林と紅葉に囲まれたつつましやかな草庵で、平家物語にも登場し平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られている。
素朴な祇王寺の入口や吉野窓に見る落葉などを中七で「昼を音なく」と表現し、祇王の悲哀を偲んでいる作者の姿が彷彿としてくる。
オブジェめく浜の流木鳥渡る安奈朝
浜に打ち上げられた流木は、荒波に打ち削られて見事な造形をなしていた。かってオブジェとは前衛芸術において、象徴・夢幻・怪奇的効果をあげるために用いられた材料であった。
近年由緒ある花道展などでは、一間もある流木を据えて鮮やかな生花を活け込み、流木をオブジェとして芸術化している。作者は浜の流木をみて、オブジェとして通用すると直感し、上五の措辞を得ることができた。その確かな眼力までも窺える作品である。
横たへて畦を枕の捨案山子本多幸次
雨風に打たれて役目を果たし終えた捨案山子が横たわっている。捨案山子を擬人化し、「畦を枕の」というユニークな措辞で捨案山子への労わりの気持ちが伝わってくる。暖かい眼差の一句にしあがった。
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