「耕人集」 2月号 感想 髙井美智子
山の神祀るまたぎの大囲炉裡佐藤文子
厳しい山で狩りを行うまたぎは、自然に対する畏敬と感謝の念が深く、山の神への信仰があつい。またぎの小屋には山の神が祀られており、山開きなどには小屋を掃き清め、山の幸や里の幸を供えて安全などを祈願する。
一方囲炉裡は茸などの山の幸を皆でいただくのに欠かせない。切り出した木を薪にするので、大きな囲炉裡が据えられている。またぎ衆が囲炉裡をかこみ、猟の話で盛り上がっている様が髣髴としてくる句である。
雁渡る空に薄ら昼の月安奈朝
雁の繁殖地は北極圏に近いため越冬できず、拠点を南に移し日本にも飛来する。ロシアから日本へと飛行する距離は実に4,000キロにも及ぶ。この長い距離を渡りぬき、日本にやってきた雁を薄らな昼の月が優しく出迎えているようだ。
宇和海や夕日に染まる蜜柑山松井春雄
宇和海は、豊後水道の愛媛県側の海域で佐田岬半島に接する海域のことである。宇和海に面した海岸での蜜柑の栽培は明治28年に始まり、山を耕し石を積み上げて段々畑を開墾してきたのである。気候は温暖で日照量が多く蜜柑栽培には最適である。
段々畑の蜜柑に夕日が照り輝き、「夕日に染まる密柑山」と、作者が独自の発見をした写生の利いた句である。宇和海も夕日に照り輝いていたことであろうと想像が膨らんでくる。
狐火と聞いて家まで一目散日浦景子
夕暮れの山裾を歩いていた作者は怪しく光る火をみたが、村人から狐火だと教えてもらった。狐火は狐が口から火を吐くとも言われている。あまりの怖さに家まで一目散に帰ってきたのである。その不気味さを家族にあれこれと話しつづけて、興奮をしずめたことであろう。
素直な表現により、作者のお住まいの近くでは、今でもみられる現象であると強調されることとなった。
日溜りを拾ひ飛びして冬の蝶澤井京
冬の蝶はすっかり色の失せた畑や土手を彷徨うように飛んでいる。咲いている花は少なく、まるで日差しを求めて飛んでいるようだ。この様子を「日溜りを拾ひ飛びして」と言い当てている。残された命を、美しさを失わず飛ぶ冬蝶の生き様をみるような一句にしあがった。
数へ日の雲と語らふ硝子拭き伊藤克子
硝子窓をいつもより丁寧に磨いていると硝子窓に映った雲と向かい合うことになった。この一年を感慨深く振り返りながら雲と語り合っている作者。気ぜわしい年末を自分と静かに向き合い、雲と語り合う時間をとる作者の生活ぶりをみているようである。
子ら遊ぶ雁木通りを我が物に矢尾板シノブ
雪国の雪よけのための雁木通りには、小売店が建ち並び買物客が行き来している。
雪が積もりとうとう遊び場もなく、雁木通りが遊び場になってしまった子供達。「我が物に」の下五で買物客が子供達を避けながら歩いている様子がみえてくる。家に閉じこもりスマートフォン等で遊ぶ子供が多い現代で、外で遊ぶ子供をみるとほっとする。子供は遊びを生み出す天才であるので、狭い雁木通りでも忽ち新しい遊びを生み出していることだろう。
雪深い北国でも明るく生きる人々の営みを詠った句である。
乾鮭のいよいよ曲がる鼻柱衛藤佳也
越後の村上地方では日本海から吹く北風を利用し、昔ながらの鮭の寒風干しをしている。
「いよいよ」という措辞により、日数をかけて乾かしている鮭を日々観察し、生まれた句であることが窺える。乾いてくると鮭の様相も凄みを増し、鼻柱も反り返るように曲がってくる。この形相を中七から下五にかけて迫力のある表現により描くことに成功した一句である。写生を大切にする作者の姿勢に学びたい。
笑む夫の遺影に先づは御慶かな小林美智子
静かな正月を迎えた作者は、あらたまった気持ちで遺影に挨拶をされたのだ。普段はつぶやくように遺影に話しかけているが、その度に笑顔の遺影が優しく頷いてくれていることをこの句から思い描くことが出来る。日常の一齣を気張らずに詠みあげた秀句である。
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