古典に学ぶ (91) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 「光隠れたまひにし後」の物語・第三部「宇治十帖」① ─    
                            実川恵子 

 『源氏物語』の第3部は、光源氏の死から8年後に始まる子や孫たちの話に移る。『源氏物語』は光源氏を主人公として始まったのであるから、死後のことを書く必然性はない。光源氏の死をもって幕を閉じてもよかった。にも拘わらず、書き継がれたということは読者からの強い要望もあったのであろうが、あれだけの1部、2部という正編を描いてきて、紫式部にはまだ書き足りないことがあったのではないかと思われる。それは一体何だったのだろうか。考えてみる必要がある。

 第3部は、まず「匂宮(におうのみや)三帖」と呼ばれる三帖(「匂宮」「紅梅(こうばい)」「竹河(たけかわ)」)があり、その後に「宇治十帖」と呼ばれる「橋姫(はしひめ)」以降の十帖がある。「匂宮三帖」は、これから始める「宇治十帖」のプロローグとも言えるようなもので、とても断片的で、少々消化不良の感じがする。おそらく紫式部のかなりの試行錯誤の結果なのであろうか。そこで、舞台を「宇治」に設定してみたらとてもうまくいったのであろう。この「宇治十帖」は、登場人物たちの魅力もさることながら、物語の仕掛けが実に見事である。物語にちりばめられた事件や出来事が有機的に連携し、読み始めると物語世界にどんどん引き込まれてしまう。とてもすばらしいと思う。ぜひお読みになることをお薦めしたい。

 さて、第3部は、それまでの光源氏に代わり、新しい2人の貴公子を主人公として始まる。第3部でもふれた光源氏と女三宮の子(実は柏木と女三宮の密通の子)である薫(かおる)と、もう1人は光源氏の孫で今上帝と明石の中宮の子の匂宮の2人である。この2人の登場の場面を、第3部冒頭の「匂宮」帖に見てみよう。

光隠れたまひにし後(のち)、かの御影にたちつぎたまふべき人、そこらの御末々にありがたかりけり。遜位(おりゐ)の帝をかけたてまつらんはかたじけなし、当代(たうだい)の三の宮、その同じ殿(おとど)にて生ひ出でたまひし宮の若君と、この二(ふた)ところなんとりどりにきよらなる御名とりたまひて、げにいとなべて御ありさまなれど、いとまばゆき際(きは)にはおはせざるべし。(「匂宮」)

 これを読むと、光源氏が亡くなった後、その「光」を継いだ人はついにいなかったのだ、とある。しいていえば孫の匂宮と、子の薫の2人が美しいと世間の評判となっていたが、この人たちは「いとまばゆき際」ではない。つまり、あの光源氏のような見るもまぶしいような、光り輝くような人物ではない。出自は素晴らしいが、要するに「普通の人」であり、いわゆる「平凡な人」で、取り上げていうほどの存在感はないというのである。これは、以前光源氏が登場したときの、超越的な説明とはまったく異なることに、注目したいものである。
 光り輝いてはいない「普通の人」である主人公たち……。そう言われてしまうと身も蓋もないが、いったい彼らとはどのような人たちなのか。まず、薫とは、生まれがよく、きわめてまじめで礼儀正しくはあるが、どこか陰がある。そして、性格は少々優柔不断なところがある人物である。それは自分の出生に対する疑惑に端を発しているからであると物語は描く。

幼な心地にほの聞きたまひしことの、をりをりいぶかしうおぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。(「匂宮」)

 薫には幼い時から、自分の出生についてほのかに抱いている疑惑があったが、いったい誰にその真相を聞いたらよいのかわからない、とある。そのことを、口に出すことも出来ず、一人胸の中に潜めているのである。このように、自分の存在に疑問を持つ薫という人物の登場に注目したいものである。