古典に学ぶ (97) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 『源氏物語』の密通と「病」・朧月夜と「病」②─    
                            実川恵子 

 源氏と朧月夜の交際は、密かに続けられたが、ちょうどその折、桐壺院の崩御があり、その喪に服した尚侍(ないしのかみ)が出家したので、その後任として朧月夜は宮中に出仕することになった。尚侍とは内侍司の女官を統べる長官で、この時代には帝の妃である女御や更衣に準ずる地位でもあった。豪家の娘の入内する例が多く、そうした妃たちより帝の寵愛をこうむる場合が少なくなかった。朧月夜は、その魅力的な人柄ゆえ朱雀院の心を奪い、その寵愛を独占したが、しかしその胸の内には源氏への思いがせつなく抱かれていた。源氏も朱雀院のものになってしまった彼女への思いは募る一方だった。二人の間には、文通が絶えなかったばかりでなく、人目を忍んで情けを交わす仲が続いた。

 いったい、桐壺院が世を去ってからというもの、朱雀院の外戚の右大臣や母后の弘徽殿が権力を握り、左大臣家や源氏の一統に対する圧迫は日に日に激しさの度を増す時勢となっていった。そうしたなかで源氏が朧月夜に忍んでいくというのは、とても危険なことであった。にもかかわらず彼が敢えて彼女に溺れこんでいったのは、いわば政治世界での窮迫への情的反乱でもあった。そしてついにそれが露顕することになってしまった。
 十帖「賢木(さき)」終盤に、朧月夜が瘧病になって退出し、源氏と密会し、二人の関係が発覚する有名なくだりがある。その冒頭に、

 そのころ尚侍(む)の君まかでたまへり。瘧病(わらはやみ)に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすくせんとてなりけり。(そのころ尚侍の君が里にお下がりになっておられた。瘧病に長らくおわずらいになって、まじないなども気がねもなくなさろうと思われたからであった。)

 この例のように『源氏物語』の「瘧病」の用例は、五例があげられる。その中で瘧病にかかるのは源氏と朧月夜のみであり、いずれも天皇の妃やこれに準ずる女君との恋が絡んでいる。しかも、すでに契りを結びながら、逢えない状態のときに罹患するという共通点がある。さらに、源氏の瘧病は藤壺との密通にかかわり、朧月夜の場合は源氏との密通が必須の条件になっている。そして、いずれも帝に対する禁忌を犯している点で共通する。また、藤壺は瘧病にはならないが、心身共に病的な状態で退出した折に密通が起こっている。即ち、藤壺も朧月夜も病によってそれぞれの帝から離れることが可能になったわけで、言い換えれば、格別な寵愛を受けているために病にでもならなければ宮中から里下りすることは難しい。病は密通が起こるための必須条件になっている。この点では柏木と女三宮の場合も同様である。

 病は密通を引き起こす条件として作用したり、あるいはまた密通の結果としてもたらされるものでもあった。いわば密通は病と表裏の関係にある。それは寵愛されている妃と密通するチャンスを創り出すために必要な手続きでもあったわけだが、極言すれば、この物語においては密通自体が病なのだともいえよう。
 また、この病は、日常から非日常への転換と関連し、さらにこのような関係は発作時と正常時が交互にあらわれる「瘧病」独自の症状に類似し、さらに「瘧病」と「えやみ・おこり」は同病の異称であるにもかかわらず、文学作品には多数を死に至らしむ疾病の規定に使用する。これは「わらわ」という語の表現映像を必要としたのではないか。「わらわ」の音から、「童」のイメージを浮かばせ、源氏と朧月夜の密会は若々しい男女の関係であり、きわめてドラマチックで、朧月夜との逢瀬は露顕して、源氏の須磨流離という事態を招く。「瘧病」という病が、新たな物語を展開させていくのである。