古典に学ぶ (105) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─柏木の病と師⑦ 人間の本質を描く物語ー
                            実川恵子 

 女三宮の方も、柏木との密通の結果、身籠った子の父をめぐり、光源氏に痛烈に皮肉られる。身の置き所のない思いで、やましさに震え、光源氏を怖れ続ける日々を送る。腹部は次第に大きくなり、望まない子を身籠った女三宮にとって腹の子は普通とはちがった奇異な存在であって、胎児を拒む「つわり」に悩まされる。
 光源氏の晩年に、もっとも高貴な正室に子ができたことを称讃する世間に対して、光源氏と女三宮は、以前よりも仲むつまじい夫婦を演じなければならないが、女三宮はすでに世間体を取り繕う気力さえも失いかけている。胎内の子もろともに死んでしまいたいとまで思い詰めている。
 そうした中で、女三宮は男児「薫(かおる)」を出産した。そして、源氏は、「さてもあやしや、わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり、この世に、かく思ひかけぬことにてむかはりきぬれば、後の世の罪は、すこし軽かろむらむや、とおぼす。」(それにしても不思議だ、自分が一生を通じて恐ろしいと思っていたことの報いであるようだ、この世でこのように思いがけないことによって報いが来てしまったのだから、来世の罪は少し軽いことだろうか、「柏木」巻)とお思いになる。
「わが世とともにおそろしと思ひしこと」とは、言うまでもなく源氏が藤壺と密通したことであり、「後の世の罪」とは来世で受ける罪をいう。つまり、仏教思想によるもので、現世で犯した罪業の大小で死後の世界で与えられる苦しみをさすのである。
 ことの真相を知る源氏は、若君に冷淡であった。前途を悲観した女三宮は、たまたま見舞いに来た父朱雀院に懇願して生きながら死ぬという出家をしてしまうのであった。これを聞いた柏木はすっかり力を落とし、重体に陥ってしまう。親友の夕霧が見舞いに来ると、柏木はそれとなく真相をほのめかし、源氏への詫びと北の方の落葉宮のことを頼んだ。夕霧が帰るとまもなく柏木は絶命してしまった。ときに32歳の若さであった。

 若い世代の中心人物であった柏木を光源氏が疎外し、「病」という消極的な抵抗に追い込むことによって、その一家である太政大臣家の人々の心は六条院を離れ、周囲の若者の協力や協讃によって支えられていた光源氏世界を崩壊させていく結果を招いたのであった。
 朱雀院の「病」によって開始した第二部の物語は、紫上の「病」、女三宮の「病」、柏木の「病」を次々に派生し、増殖させていくことで、素晴らしく完璧で、確固として隙がないと思われた光源氏世界を、内側から切り崩していくものとなっているのである。そこから見えてくるものは光源氏のすさまじい執念と力の衰えを感じつつ、若い世代に立ち向かい、圧倒していくだけでなく、痛烈な批判を繰り返し、必死の演技を続けていくところに、凄絶な「老い」の姿が響いてくるのである。
 そして、柏木と女三宮の密通のはてに誕生したこの若宮こそ「薫」であり、『源氏物語』第三部「宇治十帖」の男の主人公でもある。彼は自分の出生に疑惑を抱きつつ、正体のわからない父をめぐって、いつも不安を抱え、足元を掬われかねない事実におびえ続けるのである。その反面彼の栄達への道は開け、恵まれすぎた自分の境遇に満足できず、世捨て人のように生きる宇治八宮(はちのみや)に魅かれていくのである。
 この壮大な物語世界『源氏物語』全五十四帖の結末の「夢の浮橋」巻の縹渺(ひょうびょう)と余韻を湛えながら終わる結末をお読みになったことがありますか。この終わり方こそ読者に多くのことを気づかせる。光源氏の栄華だけがすべてではなく、あらゆる栄華には、そのために蔭に押しやられた被害者がいることを読者に語りかける。紫式部は人間というものの本質におもりを下ろし、深いところをえぐり取るようにしてこの大長編の物語を綴ったのではなかろうか。