古典に学ぶ (112) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死⑦ 大君の病① ー
                           実川恵子 

 薫が八宮とかかわり始めてから三年ほどたった晩秋、宮が山寺に籠っている留守に宇治の山荘を訪れた薫は、思いがけずも有明月の光のもとで、琵琶と筝を合奏する姫君たちの幻想的なまでに美しい姿を垣間見た。その夜、父宮に代わって応対したのは大君だが、そのつつましやかで、奥ゆかしく、気品にみちた物腰に深く感銘をおぼえた薫は、言葉を尽くして、これからの交誼(こうぎ)を乞うのであった。
 そもそも薫の宇治通いは、仏道に勤しむ先達(せんだつ)としての八宮を慕ってのことだが、その彼の胸のうちに、今や大君の存在が大きな場を占めるようになったのであった。もっとも、この世の色恋沙汰などは、まことに虚しく儚いものと感じている薫としては、自分が大君に接近していくのはけっして世間並みの好色心(すきごころ)によるのではなく、俗世間から離れて仏の道を共に求める同志ゆえの親近感からなのだ、という意識であった。
 また、大君の方でも、普段から八宮の訓戒として、現世は仮の宿であるから来世浄土に生まれるために功徳を積むのが大事だから、仏に仕えることを旨として生き、結婚によって男に欺かれ、八宮家の名誉を傷つけるようなことがあってはならないという戒めを守って生きてきたのである。だからこそ、志が深く、普通の人には行いがたい求道者であるからこそ迎え入れることができたのであろう。また、八宮も、薫に対してくり返し自分の死後の姫君たちの後見を懇願したのは、薫を当世の若い男とは異なるという認識があったのであろう。
 たしかに薫と大君の間には、宗教的な親愛の情が存在したのだが、しかし、このような関係はそのまま永続しうるものではない。薫がどのように大君への気持ちを一般の男女間のものとは異なるとしても、彼がそのように考えなければ都合が悪かっただけのことではなかったか。現世を否定するような信仰と矛盾する大君への愛を、彼は無理に信仰の名においてもっともらしく理由づけしようとしていたのだともいえよう。やがてそんな薫の姿勢が破綻するときがやってきた。
 八宮が山寺に籠ったまま不帰の人となったあと、ついに薫は大君に愛を告白したのである。その時の大君の対応はどうだったか。彼女が薫の接近を許したのは、彼が殊勝な求道者だったからだが、しかし、大君は自分では意識しなかった薫への愛がそうさせたという面もあったろう。だが、今、あらわな薫の求婚に接したとき、大君は貝殻のように心を頑なに閉ざし、拒むより他はなかったのである。
 四十七帖「総角(あげまき)」冒頭に、八宮の一周忌の準備のために薫が宇治に行き、大君と和歌の贈答する場面がある。

 御願文(がんもん)つくり、経仏供ぜらるべき心ばへなど、書きいで給へる硯のついでにまらうど、
(薫)「あげまきに長き契を結びこめおなじ所によりもあはなむ」

と書きて見せ奉り給へれば、例の、と、うるさけれど、
(大君)「ぬきもあへずもろき涙の玉のをに長き契をいかにむすばむ」
とあれば、あはずは何をと、うらめしげにながめ給ふ。
 (御願文を作り、経や仏像を供養なさる心づもりなど、書き出しなさる硯のついでに、客人が、
「あげまきの中に、末長い契りを固く結びこめて、いっしょになって会いたいもの」と書いてお見せ申し上げなさると、「いつもの」と、煩わしいけれど、
(姫)「つなぐこともできずすぐ消えてしまう涙の玉の緒に、長い契りがどうして結べましょう」とあり、薫は「会わないでいて何をまあ」と、恨めしそうに沈みこんでいる。