はいかい漫遊漫歩 松谷富彦
(194)冷し酒写楽といふは屠龍なり 加藤郁乎
詩人で俳人、俳諧評論家の加藤郁乎さんが平成24年(2012)に83歳で没して10年が経つ。其角俳句、江戸俳諧大好き俳人が亡くなる3年前に刊行した本の帯に曰く “粋で洒脱な風流人帖 ”とある『俳の山なみ』(角川学芸出版)を読んでいたら、面白い紹介話が目に飛び込んできた。
柴田宵曲、籾山梓月、内田百閒、永井荷風、岡崎ゑん女など30人の粋人俳句の紹介の「第一部 俳人ノォト」と郁乎俳句の「第二部 實話私註自句自解」の構成で、第二部の掲題句〈 冷し酒写楽といふは屠龍なり 〉の項から引く。
〈 昭和50年代、季刊「江戸っ子」誌に「江戸の風流人」と題した連載を書きつづけた。そうした折、酒井抱一の手稿『軽挙観句藻』の写しを編集子の計らいにより手にでき、抱一上人の行実を考証する上で大きく助けられた。(中略)
『軽挙観句藻』(註・俳句日誌)は寛政2年(1790)の30歳から文政11年(1828)その死の数日前まで書き継がれてあるが、なぜか、寛政5年、6年、7年の記録が欠けている。3年に渡る記録の欠如を私はさして気に留めずにいた。玉川の静嘉堂文庫で抱一自筆の10冊を算える稿本を閲覧できた折々でも全く気付かずだった。
しかし向井信夫氏による「写楽・抱一同一人説」を「季刊浮世絵」(昭和43年5月、8月両号)に拝見して、この3年間が東洲斎写楽の活躍する時期に相当する意味の重さを教えられ驚倒した。大名の子である抱一は世の絵師稼業とは異なり身分の高い殿様画家、「役者の似顔絵を描いたことが公辺に知れれば、累を家門に及ぼす危険」があろう、と断ぜられた向井説は幾多の写楽論のうち最も説得に富む考証であり、私はこれに従った。 〉
ここで郁乎さんの言う “幾多の写楽説 ”をさらってみよう。江戸時代中期の謎の浮世絵師、東洲斎写楽は、寛政6年(1794)から翌年の寛政7年にかけての約10か月の短期間に蔦屋重三郎の店から役者絵134点など140数点を板行した。
そして、これまでに別人説で上げられたのは初代歌川豊国、葛飾北斎、喜多川歌麿、歌舞伎堂艶鏡、齋藤十郎兵衛、司馬江漢、谷文晁、円山応挙など20人近い人物。その中で最有力候補として今日に至っているのが、能役者、斎藤十郎兵衛。天保15年(1844)に考証家の斎藤月岑が著作『増補浮世絵類考』で〈通名は斎藤十郎兵衛といい、八丁堀に住む、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱え能役者である。〉と書き、これが江戸期に書かれた写楽の素性に関する唯一の記述だった。
「類考」に書かれた当時の八丁堀には、徳島藩の江戸屋敷が存在し、その中屋敷に藩お抱えの能役者が居住していたこと。さらに蔦屋重三郎の店も写楽が画題とした芝居小屋も八丁堀の近隣に位置し、“東洲斎”の号も、江戸の東に洲があった土地を意味していると考えれば、八丁堀か築地あたりしか存在しない。
条件はことごとく合っているように思えるが、能役者を本業としながら手すさびにあれほどの画力の作品を短期間に多作することが出来るだろうか、という疑問は、いまなお払拭されずに残る。
一方、酒井抱一(俳号屠龍)は、優れたプロの絵師であり、老中や大老にも任じられる酒井雅楽頭家、姫路藩主、酒井忠以の弟という出自。絵画は尾形光琳に私淑、江戸琳派の祖になり、俳句は元服当時に江戸座俳諧の馬場存義に入門の後、江戸座の遠祖、宝井其角を追慕、心酔し、詠句を続けた。郁乎さんならずとも3年間の日誌抹消で写楽=抱一説を採りたくなるのではないかと思うが、いかが。
竹の家主人編『西鶴抱一句集』(文芸之日本社)から抱一句を5句。
いく度も清少納言はつがすみ
ゆきとのみいろはに櫻ちりぬるを
新蕎麥のかけ札早し呼子鳥
水田返す初いなづまや鍬の先
河豚喰た日はふぐくうた心かな (続く)
(195)冷奴十年早い奴共 郁乎
引き続き加藤郁乎居士の著『俳の山なみ』の「實話私註自句自解」に触れる。まず掲題の句から居士の自句自解を抜き書きする。
冷奴十年早い奴共
〈 若い時分、籾山梓月に「冷奴つめたき人へお酌かな」あるを拾い出し傾倒、しばらくは冷奴の亡霊に悩まされてかヤッコの句は吐けずだった。いまだに、いずれの歳時記にも梓月一句は採られていない。…遊び心の何たるかを弁えぬ没風流をこそ指弾すべきであろう。〉
根岸より参りさうらふ手を焙る
〈 根岸というと子規庵としか返ってこない俳人などというのはつまらない。せめて、抱一とか鵬斎くらいの名を挙げ、笹の雪のきぬごしくらいが出なければおもしろくない。〉
こぞことし向ふ通るは初心かな
〈 江戸で初心とくれば野暮を指した。上方でも西鶴あたりは初心の女房とか初心の女郎とか、からかい気味の筆あしらいで一代男を書いていたのを忘れてはなるまい。〉
郁乎居士と同様、詩人で俳句詠みだった清水哲男さんの郁乎俳句二句の鑑賞を「増殖する俳句歳時記」から引く。
このひととすることもなき秋の暮
〈 郁乎の句は油断がならない。なにしろ江戸俳諧の教養がぎっしりと詰まっていて、正対すると足をすくわれる危険性が大だからである。この句にも、芭蕉の有名な「道」の句が見え隠れしている。ところで、「このひと」とはどんな人なのか。女か、男か。なんだかよくわからないけれど、読み捨てにはできない魅力がある。…私は「このひと」を「男」と読んだ。「このひと」はたぶん気難しい年長者、おまけに下戸ときているので、酒好きの作者がもてあましている図。〉
昼顔の見えるひるすぎぽるとがる
〈 句の字面をじっと眺めていれば、あるいは句を何度か舌頭に転がしてみれば、静かな悲しみを帯びた不思議な魅力が立ち上がってくるのがわかる。多用された平仮名のやわらかい感じ、重ねられた「る音」のもたらす心地よさ。〉俳句は、これができる。
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