古典に学ぶ (128) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑫ 六条御息所の死② ─
                           実川恵子 

 光源氏と六条御息所との再会が、切実な遺言を聞く場面であるのは実に哀れである。御息所とって、我が娘の斎宮を託す人は源氏のほかにはない。しかし、源氏との仲に苦悩の限りを尽した御息所は、そのためにまた斎宮の前途にも危惧を抱きつつ亡くなってゆく。光源氏は、こ娘をこの上なく大事に扱い、やがて養女として冷泉帝に入内させ、中宮にしている。
 六条御息所は『源氏物語』の中では比較的早く退場してしまうが、その存在感は絶大である。その後不穏なことが起こるたびに、源氏は六条御息所の怨霊ではないかと想像してしまう。それくらい彼女は、源氏の心の中に、固く、いつまでも癒えないしこりのようなものを残したのである。
 葵の上の死後、光源氏は疎ましい思いをもち、御息所を遠ざけるが、その後に続くのは断ちがたい未練と後悔であった。
 「朝顔」の帖で生涯に二つだけ心の「むすぼほれ」(しこり)を抱えることになったと光源氏が回想するシーンがある。その一つは藤壺との密通の果ての、不義の子の誕生、そしてその冷泉の即位が源氏をこの上もなく高い地位に導く役割を果たしたこと、もう一つは六条御息所とのかかわりである。光源氏の栄華の陰に押しやられた女たちの恨みの思いを集約する存在として、六条御息所は亡くなってからもその存在感は生き続けるのである。
 その後、源氏は自身の栄華を象徴する「六条院」という壮大な屋敷を造営し、ゆかりの女君たちを集めて暮らした。この邸宅は、その昔、六条御息所が住んでいた所に築かれたもので、あえて、そうした場所に光源氏が六条院を構えたと物語が語ろうとしたのは、栄華をきわめた光源氏の理想的な生活の背後に、傷つき、恨んで亡くなっていった御息所の存在が大きかったと思われる。
 そして、その六条院に六条御息所のもののけが繰り返し登場する。この場面を是非読んでご覧になるとおもしろいと思う。亡くなってもさらにこの六条御息所の問題を手放さないという作者の物語への大きな拘りを感じる。物語に登場する多くの女たちの中で、独自な位置と視点を持つのであろうか。言い換えれば、『源氏物語』の中では六条御息所は、主人公の光源氏を相対化させ、突き放して見ようとする姿勢を示すものと考えてもよいのだろうか。さすがである。

 ここで少々「死」のテーマから、脱線。
 みなさん、大河ドラマ「光る君へ」をご覧になっていますか。大石静脚本、吉高由里子主演、道長を柄本佑とそうそうたる俳優たちが、紫式部の生涯という視点から映像を通して語りかけている。なかなか面白い。
 作者紫式部の生涯については、当時の女性の常で、不明な点が少なくない。わかっているのは、生年は天禄元年(970)から天元元年(978)の間とされ、少なくとも寛仁3年(1019)までは存命であったといわれる。ドラマにもあったように、父為時(ためとき)は漢学者として著名、母は若くして亡くなったらしい。ドラマでは藤原道兼に殺害されるという極めてショッキングな筋書きだが、これはフィクションである。紫式部がこのような権力に対する怨念を背負って生きる設定を強く印象付けるためなのであろうか。また、幼名の「まひろ」もドラマのための創作で、そのような事実はない。

 先にも触れたが、『源氏物語』は単に色好みの男の恋愛譚ではない。宮中の噂話を書いたものでもない。日本古代からの伝承や記録に則り、中国の歴史物語のスタイルに似せ、恋愛が国家の政治とつながり、人間を縛っていくというスキャンダラスな世界を描こうとした。この物語が実際にあったことを諷刺していることでもない。虚構こそ真実を描くことにもなるのである。