鑑賞「現代の俳句」 (36)                  沖山志朴

どうしても丸くなれない榠樝の実村上光代〔玉梓〕

[俳句四季 2024年 1月号より]
 店頭に並ぶ林檎や蜜柑などは、大きさや形が揃い、艶やかで見た目もよく、いかにもおいしそう。しかし、榠樝の実となると少し違ってくる。表面は凸凹で、大きさも不揃い。そんな榠樝の実が、丸くなろうとしているのだが、丸くなれないと嘆く。俳諧味の溢れる句である。
 違う視点で読むと、掲句は、人の不器用な生き方を詠った寓意の句であるとも解釈できる。上手く人と接し、世渡り上手に生きていきたいと思うが、不器用がゆえにスマートに生きられない、と自らを嘆く。そんな解釈をしつつ読むと、また一味違った味わいができる。

眠りても山は谺を怠らず能村研三〔沖〕

[俳句四季 2024年 1月号より]
 逆説的な条件を表す接続助詞「・・も」と、「・・ず」の打消しの助動詞の呼応が見事である。青々と茂っているときは勿論のことだが、眠りに入り活動を停止しているように見える状況においてさえ、山々はきちんと谺を返してくれる、と讃える。諧謔味に溢れ、着想の素晴らしい句である。
 大きな俳句結社の主宰として、また、俳人協会の要職も兼ねながら、句づくりにも手を抜かず、多忙な中にあっても、実に素晴らしい句を次々と発表されている。どこにこのようなエネルギーが秘められているのだろうかと不思議でならない。 

永訣のその朝咲きぬほととぎす名和未知男〔草の花〕

[俳句界 2024年 1月号より]
 第五句集『妻』より。令和3年9月27日、奥様が他界。第一句集では、〈夕涼み妻より先に死ぬつもり〉という句を残されている。しかし、その後、突然奥様が他界。生前、62年余一緒に暮らしながら、感謝の言葉も、別れの言葉も告げることができなかったという作者。それが悔やまれると嘆く。
 きっと、お元気なころ、草花が大好きで手入れもよくしていた方なのであろう。偶然、楽しみにしていたほととぎすが咲いたその朝、亡くなられたという。その花を見ていると悲しみがまた一段と深まる。

剣道の声炸裂し落葉飛ぶ大串章〔百鳥〕

[俳句 2024年 1月号より]
 威勢のいい、剣道場での寒稽古の様子なのであろう。炸裂は、爆弾などが破裂することであるが、掲句では、掛け声の大きなことの喩えとして用いられている。そして、その勢いのよい声に、散ってくる落葉さえも、飛ばされてしまうほどであったという。
 作者は熱の入った剣道場での稽古の様子によほど圧倒されたのであろう。やや主観が強い表現のようにも思えるが、まさしく作者が強く受けた印象の表現なのであろうと、納得した。

クレヨンの何色たせば柿紅葉西谷稔子〔幻・斑鳩吟社〕

[俳句四季 2024年 1月号より]
 柿の葉の紅葉は、他の木々の紅葉とは違って実に複雑な色合いとなる。地の緑色に加えて朱色、黄色、橙色等が入り混じり、それはそれは見事である。
 「何色」は、「なにいろ」とも、また「なんしょく」とも読めるが、「なにいろ」と理解したい。作者は、柿の紅葉を眺めているうちに、その複雑な色合いにすっかり魅せられてしまう。そして、この複雑な美しい色合いは、クレヨンのどのような色を重ねてゆけば出せるのであろうか、と考え込んでしまった、という次第であろう。

投ぐるより引くに力や独楽回す石井いさお〔煌星〕

[俳壇 2024年 1月号より]
 古くから長い間正月の子供たちの伝統的な遊びの一つであった独楽回し。今ではすっかりゲーム機などの遊びに代わってしまった。独楽は、回りながら鳴る音が悪霊を追い払うとされて、正月の縁起物として好まれたともいう。
 狙った場所へ投げつけるようにして回す独楽、回転する原動力は、投げたときの力よりは、むしろ離れるときに思い切り引く紐の力、回転力によるものだという。実際に筆者も子供の頃独楽を回した経験から、説得力があると思いつつ納得した。

町に一つの本屋が消えし日短か馬淵定子〔菜甲〕

[俳壇 2024年 1月号より]
 ここ20年余りで、全国の書店の半数近くが閉店したともいわれる。理由として、人口の減少、読書離れ、インターネットの普及、通信販売での購入などがあるようである。町にたった一軒しかなかった書店の閉店という例も決して珍しいことではないであろう。
 作者は、読書好きな方で、きっと閉店した書店にも足しげく通っていたのであろう。さびしい心中を暗示しているのが、季語の日短かである。
(順不同)