はいかい漫遊漫歩   松谷富彦

(226)増える絶滅危惧種の季語 

  子どもの遊びの秋の季語に本題「海蠃(ばい)廻し」傍題「海蠃打ち」「べい独楽(べーごま)」がある。そもそもは江戸時代に巻貝の一種「海蠃貝(ばいがい)」に重みをつけるため土や蝋、鉛などを詰めて独楽遊びしたのが発端。

  それが明治末期から大正初めごろ、ばい貝の形をした真鍮製の独楽が子どもの遊びのおもちゃとして駄菓子屋で売られるようになった。広く子どもの人気おもちゃになると、「ばいごま」はいつしか訛って「ベーゴマ」と呼ばれるようになる。

  東京の下町の子ども達の路地遊びの主役だった木製の独楽回しに代り、ベーゴマが席捲、山の手の子ども達の間にも浸透。初めは目のこまかな茣蓙や畳表をバケツや樽の上に敷き、中央部を凹ませてベーゴマを一斉に放ち、弾き飛ばし合っていたが、やがて茣蓙や畳表に替って厚手の帆布やズックが使われるようになる。

  凹みを付けた面をシートとか床(とこ)と呼んで一対一か数人が一斉にべーゴマを放つ。独楽をぶつかり合わせ、シートの外にはじき飛ばす。負けたこまは、弾いたこまの持ち主の物になる子ども達にとっては真剣勝負の遊びだった。外に飛び出さなくても、ぶつかって裏返しにされれば、これも負けで取られた。

  ベーゴマのシートへの放ち方は、東京は小指と薬指に紐の端を挟み独楽を放つ瞬間、引くように叩き付け、大阪など関西では掬うようにこまを投げる違いがあった。

  真鍮製のベーゴマが鋳物製に替ったのは、民俗考証・評論家、加太こうじ著『下町の民俗学』(PHP研究所刊)によると、大正中期らしい。同書から引く。

 〈 大正3年(1914年)にはじまった第一次世界大戦で日本の各種産業に軍需景気が起った。鋳物業も事業を拡張し設備を増強したが、大正7年に戦争が終ると、たいがいの産業が生産過剰になった。その生産過剰による不況は大正8年頃に始っている。

 鋳物業者のうちには子どもの玩具でもいいから、とにかく何かを作ろうとする者がいた。それが一銭玩具のベーゴマの製造になったと見られる。〉

  昭和に入り日中戦争が始まり、同14年(1939年)から太平洋戦争の敗戦まで軍需物資の鉄を玩具に使うのは禁止される。終戦時、小学3年生だったコラム子の記憶によれば、戦後2、3年ころ先ず陶製のベーゴマが復活、それを追うように鋳物製のベーゴマが復活したような気がする。

  ところがテレビの普及、ゲーム機の登場とともに子ども達の路上遊びが姿を消していくとともに紙芝居やベーゴマ、めんこ遊びも路地から消えた。

  かくしてベーゴマやめんこ遊びを実際にやったのは80代以上の世代となり、「海蠃廻し」や傍題の「ベーゴマ」も載らない歳時記も現われ、絶滅危惧種の秋の季語と化しつつある。(次話に続く)

 

(227)べい独楽や佃の路地の行き止まり   宮下邦夫

  “俳句の伝道師”こと夏井いつきさんは、編著『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)で「絶滅危惧種」よりさらに進んだ「絶滅寸前季語」として「海蠃廻し」を上げている。

 さもありなん。先述したようにベーゴマ体験者は80代、いや厳密には80代半ば以上しか実物に触れていないはず。2023年現在おん歳66歳とお若いいつき先生も路地裏遊びの実技の場を知らないから下記のような表記になるのだろう。

〈海蠃 ※「海蠃」は、海の巻き貝。それで作った独楽を回す遊び。

 こんな季語に出合うと、とにかくそれを見たい、作ってみたい、遊んでみたいという欲求が噴き出す。会った人だれかれに「ばい独楽」って知らない?持ってる人ない?と、聞きたおす。〉

 〈 ある句会の仲間が、「ああ、べい独楽なら持ってますよ」と言うのでおねだりして持ってきてもらったら、貝ではなくて金属製のものだったのでがっかりした。… 〉

 いつき先生、ちょっと待ったですよ。江戸時代に海蠃貝を独楽仕立てにして始まった遊びとは言え、明治時代末期ころから昭和に至る路地遊びの王者、ベーゴマは、金属の真鍮、鋳物製独楽であり、昭和期、平成期、令和期刊行の歳時記に搭載の例句は、いずれも全て鋳物製ベーゴマでの遊び風景を詠んだものばかり。

 鋳物製にがっかりした先生は、屈託なく〈「海蠃独楽保存会」なんてのをご存じでしたら、是非ご一報ください。〉などとお書きにならないでいただきたい。ま、しかし、“俳句の伝道師”のいつき先生ですら、ベーゴマの実態をご存じない時代。路地裏で「ごはんよ」と声がかかるまでベーゴマバトルに熱中した老コラム子には寂しいことだが、先生指摘の通り「海蠃廻し」「海蠃打ち」「ベーゴマ」は、「絶滅寸前季語」には違いないようだ。

 例句を水原秋櫻子編『新編歳時記』(大泉書店)、『新版・俳句歳時記』(雄山閣)、高橋悦男編『俳句月別歳時記』(博友社)、角川書店編『俳句歳時記』から十句を記す。

海蠃打や灯ともり給ふ観世音水原秋櫻子

奉公にゆく誰彼や海蠃廻し久保田万太郎

海蠃打にすぐゆふがたが終ふなり竹下しづの女

海蠃打つてかくしことばのやりとりも軽部烏頭子

おばさんがおめかしでゆく海蠃うつ中山口青邨

風浪やばいに賭けたる子の瞳柴田白葉女

海蠃打ちの子に民宿の道をきく土橋いさむ

家々のはざまの海や海蠃廻し富安風生

ポケットに海蠃の重さや海蠃を打つ後藤比奈夫

ばい打に日はととととと沈みたる鈴木一睡