古典に学ぶ (129) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「病」と「死」を物語はどう描いたか⑬ 藤壺の宮① ─
                        実川恵子 

 藤壺の宮は、先帝の第四皇女であり、この人が源氏の父帝の後宮に迎えられたのは、亡き桐壺更衣に面影が生き写しの美貌の人ゆえであった。憂愁に閉ざされていた帝の心は、この藤壺の宮によって癒されてゆき、そして、帝の寵愛を一心に独占することになったのである。
 あの桐壺更衣に同輩たちの激しい嫉妬や憎悪が巻き起こったのは、身分にそぐわない処遇が許しがたかったからだが、この藤壺の宮は内親王という非の打ちどころのない高貴な人であった。
 帝は藤壺の宮の許へしばしば幼い源氏の君を同伴した。源氏は、3歳の歳に死別した母の顔立ちは覚えていなかったが、この藤壺の宮が母と生き写しであると聞かされ、次第に彼女への思慕を募らせていった。藤壺の宮もまたこの光輝くような皇子を大切に愛おしんだ。この「光る君」「かがやく日の宮」の二人の年齢差は5歳、親しみ、睦まじい様子はまさしく超越したものであった。
 しかし、源氏は12歳で元服し、左大臣家の葵上と結婚することになった。成人となっては以前のようには藤壺の部屋には出入りすることは許されなくなる。隔てられることで、ますます藤壺の宮への思慕は燃え立ったのである。しかし、相手は父帝寵愛の妃である。けっして近づいてはならぬ、我が胸に秘めおかねばならないその人への思いであるだけに、藤壺の宮は源氏のなかで理想の女性像として、戦慄的な罪の意識にまとわれつつ絶対化されていったのである。
 源氏が正妻葵上になじめず、左大臣家への通いも遠のいていったのも、その胸中を藤壺の面影によって占められていたからでもあった。
 そんな中で源氏は18歳の春、思いがけず北山でその藤壺の宮の面影を宿す美少女、紫上を見出した。その少女は、藤壺の宮の兄兵部卿(
ひょうぶきょう)の宮(みや)の娘であり、やがて奪い取るようにして自邸に迎え入れたのである。ちょうどその頃、病のために里邸に下がっていた藤壺の宮に迫り、夢現(ゆめうつつ)の境も分からないような逢瀬を遂げてしまうのである。次に挙げるのは、その夜二人の間に交わされた和歌である。

 何ごとをかは聞こえつくしたまはむ。くらぶの山に宿(やどり)も取らまほしげなれど、あやにくなる短夜(みじかよ)にて、あさましうなかなかなり。

(源氏) 見てもまたあふよまれなる夢の中(うち)にやがてまぎるるわが身ともがな
             とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、

(藤壺) 世がたりに人や伝へんたぐひなくうき身を醒(さ)めぬ夢になしても
             思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。
             命婦の君ぞ、御直衣(なほし)などは、かき集めもて来たる。

 (君、申しあげたい多数のことが、どうして申しあげつくすことがおできになれよう。夜明けを知らない暗部(くらぶ)の山に宿りもしたそうであるけれども、あいにくの短夜で、嘆かわしくも、なまじ逢わないほうがましなくらいである。
(源氏)こうしてお逢いできてもまたお目にかかれる夜はむずかしいのですから、いっそこの夢の中にこのまま私は消えてしまいとうございます
と、涙にむせかえっていらっしゃるご様子もさすがにひどくいじらしいので、
(藤壺)世の語りぐさとして、後々まで言い伝えないでしょうか。この類(たぐい)なくつらい私の身を、覚めぬ夢の中のものとしましても
思い乱れていらっしゃる宮のご様子も、まことにもっともであり、畏れ多いことである。命婦の君が、君の御直衣などは、とり集めて持ってきている。) (五帖 「若紫」)