コラム「はいかい漫遊漫歩」      松谷富彦

(108)虚子は戦後俳句をどう読んだか

 高浜虚子没後60年を翌年に控えた平成30年夏、戦後俳句を晩年の虚子がどう理解、批評していたかを伝える “肉声の記録 ”を復刻、発言の場に同席していた弟子たちの証言と合わせた貴重な一冊『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会―』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)が刊行された。

 虚子の次女、星野立子創刊の俳誌『玉藻』に虚子の提案で昭和27年から死を挟んで7年余り続いた連載企画「研究座談会」。自ら指名した若手の弟子たちを相手に活躍中の俳人約四十名の戦後俳句に対する虚子自身の好み、鑑賞、批評を語った部分を抜粋、復刻したのが、今回刊行の記録集である。

 編者の筑紫磐井の「まえがき」から引く。〈 高浜虚子は、星野立子の主宰する「玉藻」で行われた若手たち(上野泰、湯浅桃邑、深見けん二、清崎敏郎、藤松遊子ら)による「研究座談会」(昭和27年12月号から開始)に、昭和29年4月号以後立子とともに参加している。この研究座談会は虚子が倒れる34年4月まで(雑誌の連載としては34年8月号まで)続いており、虚子最晩年の俳句に対する考えを知る上でも貴重な資料である。

 内容は、俳句本質論や回顧談、ホトトギスや玉藻の雑詠評など広範であるが、特に、昭和30年8月号以降からはホトトギス外部作家たち(ホトトギス離脱後の作家も含めて)の作品批評を連続して行っているのである。これは一種の「虚子による戦後俳句史」と位置づけることができるであろう。〉

「玉藻」研究座談会で虚子が論評した作家は、飯田蛇笏と4Sのうち離脱組の水原秋櫻子、山口誓子、人間探求派の中村草田男、加藤楸邨、石田波郷、新興俳句の日野草城、秋元不死男、平畑静塔、西東三鬼、戦後派(社会性俳句、伝統派など)の飯田龍太、金子兜太、沢木欣一、古沢太穂、能村登四郎、高柳重信ら。加えてホトトギスの代表作家、富安風生、山口青邨、阿波野青畝(4S)、高野素十(同)、星野立子、松本たかし、京極紀陽も取り上げている。

 こうした研究座談会の4S、新興俳句、人間探求派、社会性俳句という区分から編者の筑紫は書く。    〈 まずは虚子は原理主義的に一網打尽でこれらを否定するのかどうか、というところに関心があった。なぜならばこれらの作家は虚子が主唱した「客観写生」や「花鳥諷詠」から遠く離れているように見える人々だからである。しかし、「研究座談会」を見ると意外な結論に驚く。保守頑迷と思っていた虚子が、これらのグループを一律に否定することもなく、それぞれのグループの作家の作品を細密に鑑賞したうえでよしとするものと否とするものを分別した。それは、ホトトギスの作家たちについても同じであった。〉と。(敬称略 次話に続く)

(109)虚子の選句基準は俳句らしい思想と措辞

 虚子の戦後俳句に対する “肉声記録 ”に入る前に、若手の弟子を指名して「玉藻」研究座談会を立ち上げた老虚子の狙いは何だったのか、に触れて置く。

 『虚子は戦後俳句をどう読んだか』の編者、筑紫磐井は、虚子が研究座談会に寄せていた期待がよく分かる資料がある、と書く。

〈 虚子は俳誌「ホトトギス」の裏表紙等に毎号「玉藻」の広告を載せさせていたが、研究座談会の開始にあたり、「ホトトギス」の「玉藻」の広告には次のような文が載っている。虚子のこの研究座談会への期待の高さを物語っている。〉と「ホトトギス」昭和27年12月号掲載の告知広告を示す。

 〈 虚子曰 玉藻は常に新しい事を志している。今回から「研究座談会」なるものを開くことになった。これは若い人々の俳句理論を組み立てん為の研究の座談会である。組織的な系統立った俳句理論なるものが私の望みであったことは、久しいものがある。諸君の若い頭脳、新しい学殖から研究を積んでいって何等かの成果を得んことを希望するものである。〉

 研究座談会で展開される「虚子独自の俳句基準」は、虚子が「ホトトギス」でやってきた選句の基準であり、自著『俳句への道』(昭和30年1月、岩波書店刊)の「選句」の項で述べているので引く。

 〈 先ず私は俳句らしいものと、俳句らしくないものとを区別する。その思想の上から、またその措辞の上から。思想の上からは大概のものは採る。非常に憎悪すべきものは採らない。措辞の上からは最も厳密に検討する。材料の複雑と単純、ということになると比較的単純なものを採る。俳句本来の性質として単純に叙して複雑な効果を齎すものを尊重する。斬新なるものをもとより喜ぶが、斬新ならんとして奇怪なるものは唯笑ってこれをこれを棄てる。

 陳腐なものもとより好まぬが、その中に一点の新しみを存すればこれを採る。材料は殆ど同じものであっても、措辞の上に一日の長あれば喜んでこれを採る。〉

 この一文から〈 虚子は俳句の評価を花鳥諷詠や客観写生で行っていない。俳句らしい思想と措辞をもっているかで決定する。〉と編者は指摘する。(敬称略 次号に続く)