はいかい漫遊漫歩     松谷富彦

(200)夏嵐カフカの机傷いくつ    浅井慎平

 1966年、ビートルズが来日した際、滞日中の行動に密着取材して作成した写真集『ビートルズ東京 100時間のロマン』で写真家としてメジャーデビューしたマルチタレント、浅井慎平は、『二十世紀最終汽笛』『夜の雲』などの句集を持ち、2015年には応募句〈 青き川祖国に流れ足の裏 〉で第22回西東三鬼賞(岡山県津山市主催)受賞、俳句コンテストの選者も務める俳人でもある。

 掲題句〈 夏嵐カフカの机傷いくつ 〉は、2007年に東京四季出版刊の句集『夜の雲』に搭載の1句。表紙にマチスの人物一筆画と夜の雲を意味するイタリア語のla nuvo la notturnoを配した装丁と1頁目に自作の短詩〈 夜ごと天使のミカエルから教わった。美しいものになら 微笑むがいいと。〉を付した才人、慎平らしい洒落た句集だ。

 当時、版元の編集長として、句集作成に当たった俳人、林誠司は、2007年10月30日付けの自身のブログ『俳句オデッセイ』で記す。〈 写真家・浅井慎平さんの句集「夜の雲」が今日出来上がりました。自分で作って言うのもなんですが、カッコいい!…浅井さんは超多忙な写真家であり、今も全速力で時代を駆け抜けています。浅井さんの次々と浮かんでくるアイデアに対応したり、多忙なスケジュールに合せて制作していくのはのんびり方の私には結構大変でしたが、出来上がった時にはひさびさに感動しました。〉と。

 搭載句から5句を抜き出してみる。

風花やマッチするとき夜の雲
雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな
夏嵐カフカの机傷いくつ
水噛んで少年の夏終りけり
銀河から銀の雨降る草枕

  句集の栞に東京下谷の法昌寺住職で、絶叫歌人として知られる福島泰樹が書く。〈 集中の傑作はなんといってもこの一句。 夏嵐カフカの机傷いくつ 余分な肉を見事に削ぎ落している。そう、実際のことは、どうでもいいのだ。この机が、夭折した作家が終生勤めたプラハの労働災害保険局の机であるのか、「審判」を書き上げた小室の机であるのか、そんなことはどうでもいいのだ。重大なことは、現前として、此処に、句として机がつよく存在するという一事である。〉

 同句集の6年前に同じ版元で出した句集『二十世紀最終汽笛』から1句。

春の雨郵便ポストから巴里へ

  詩人で俳人、清水哲男の同句の鑑賞を『増殖する俳句歳時記』から引く。

〈 雨降りの日に投函するとき、傘をポストにさしかけるようにして出しても、ちょっと手紙が濡れてしまうことがある。…なるほど、こういうふうに想像力を働かせれば、濡れた手紙もまた良きかな。この国のやわらかい「春の雨」が、手紙といっしょに遠く「巴里」にまで届くのである。彼の地での受取人が粋な人だったら、少しにじんだ宛名書きを見ながら、きっと日本の春雨を想像することだろう。そして、投函している作者の様子やポストの形も…。手紙の文面には書かれていない、もう一通の手紙だ。愼平さんの写真さながらに、知的な暖かさを感じさせられる。本来のウイットとは、こういうものだろう。〉
                              (敬称略)

(201)毛虫を愛ずる美しく気高き姫君の物語

 平安時代(8世紀末―12世紀末)後期から鎌倉時代(12世紀末―14世紀)の100年の時間をかけて、幾人かの手で出来上がった短編物語集『堤中納言物語』。「逢坂越えぬ権中納言」から「思はぬ方にとまりする少将」まで6編の短編と未完の断片一編からなるこの物語集の編者は不明。

 第3話が「虫愛ずる姫君」で、82歳の高齢で太政大臣に就任した藤原宗輔父娘がモデルとも言われている。虫好き、毛虫大好きという姫。父親、宗輔も殿上人の身で手ずから草花を植え育て、蜂を飼う平安期の公卿としては型破りな人物だったが、人柄がよく、風雅の人として知られる。この親にして、この娘。

  さて物語の主人公、按察使大納言の娘(虫愛ずる姫)は、美しく気高き姫君ながら、裳着(成人儀式)後も化粧嫌い、お歯黒も付けず、眉毛も細くせず、こともあろうに毛虫など虫と遊ぶのが大好き。

   虫愛ずる風変わりな姫君の姿を見んものと出かけた貴公子が〈 かは虫の毛ふかきさまをみつるよりとももちてのみまもるべきかな 〉と歌を詠み掛かけるが、姫は無関心。見かねたお付きの女房が代りに〈 人に似ぬ心のうちはかは虫のなをとひてこそいはまほしけれ 〉と返歌。これに貴公子は〈 かは虫にまぎるるまゆの毛の末にあたるばかりの人はなきかな 〉と返すが、なぜか物語は突然 〈 二の巻にあるべし 〉の断り書きで終る。そして第二巻はない。

潮風に毛を吹かれ居る毛むしかな与謝蕪村
鏡なすまひる石段をゆく毛虫金尾梅の門
毛虫ゆきぬ毛虫の群にまじらむと軽部烏頭子
山国の毛虫ふさふさ生きるとは宮坂奈々
するすると降りてゆらゆら毛虫かな近藤ソノ
自由かな毛虫輪になり棒になり石川青狼
まるまるとゆさゆさとゐて毛虫かなふけとしこ
毛虫過ぎる天下の有事ある如く太田好子
寺格なき寺やきままに毛虫垂れ石原廣紹
毛虫逃ぐ毛虫歩きをしてゐたり塩川雄三
哲学の径なり毛虫ぎっしりと山尾玉藻
降るほどの毛虫育ちぬ古墳山鳴海清美
手遅れや毛虫と気づきたるときは稲畑汀子
温顔に毛虫遊ばせ地蔵尊栗田武三
毛虫焼き昼酒に刻深めたる皆川盤水