はいかい漫遊漫歩 松谷富彦
(222)どろ亀先生(上)
どろ亀先生が2002年に87歳で亡くなってから20余年になる。1938年(昭和13年)に東京帝国大学農学部付属北海道演習林(富良野市)助手として着任、4年後に同演習林の5代目の林長、翌年に助教授、11年後の1954年に教授に就任したが、同74年に定年退官するまで本郷・駒場の大学キャンパスでは一度も教壇に立たず、演習林でのフィールド・スタディと教育に徹した稀有の東大教授だった。
「森こそ教室」と現場での観察を重視、いつも作業衣姿で演習林に入り、泥まみれになるのを厭わず研究と学生の指導、教育に没頭。そんな自らの姿を「のろまでもこうと決めたらやり通す“どろ亀”」と称し、研究者仲間や学生たちだけでなく、広く接した人々からも「どろ亀さん」「どろ亀先生」と敬愛された。
本名、高橋延清。生年月日は1914年(大正3年)頃と推定される。岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)で生れたが、出生届けが数年後に出されたため正確な生年月日は不明という。旧制黒沢尻中学校、同弘前高等学校を経て東京帝大農学部林学科に進んだ。
エッセイストの故白洲正子は,1993年刊の自著『随筆集 夕顔』(新潮社)の「どろ亀先生」の項で書く。
〈 どろ亀先生の存在を知ったのは、NHKのテレビを見た時である。たしか、「森と老人」という題であった。少し眼の悪い私は、そこに人間がいるとは思わず、森の中で樹霊めいたものが軽々と浮游しているように見えた。それほどどろ亀さんは、自然の中にとけこんでおり、樹と言葉をかわす時は樹と一体となり、茸や栗鼠や蟻と遊ぶ場合は、土の上に寝そべって、相手と同じレベルに小さくなってしまう。だから動物は少しも恐れず近づいてくるし、森の樹々さえ枝を垂れて、先生の言葉に聴きほれているようであった。〉
さらに引く。〈 のちにそこが北海道にある東大の演習林であり、どろ亀さんは東大の名誉教授で、ただし、一度も教壇に立ったことはなく、昭和13年以来森の中に住み、研究をつづけていられると知った。東大にもこんな先生がいるのかと、私は驚くとともに感動した…〉
NHKのテレビ番組「森と老人」で“どろ亀先生”が、たんたんと語った言葉を白洲は書き留める。
〈 自分には本なんか要らない。森が先生である。そこには汲めどもつきぬ知恵の泉があり、その深きこと、悠久なること、人間の比ではない。〉
そして感動を込めて記す。〈 どろ亀さんは、客観的な研究なんか行っているのではない。文字どおりどろにまみれ、森のふところ深くわけ入って、自然の魂をわがものとしているのだ。〉と。 (次話に続く)
(223)どろ亀先生(下)
前話で紹介したように「どろ亀先生」こと高橋延清さんは、1974年に東京大学を定年退官した。同大の講師以上の教職者は、通常は定年退官の際、最終講義を本郷・駒場のキャンパスで行う。ところが「どろ亀先生」は、北海道演習林の近所の小学校分校で行ったのだ。
前話に続いて白洲昌子著『随筆集 夕顔』から引く。
〈 (分校の在校生が)5人しかいなかったという生徒たちは、今はどろ亀の爺さんとしか知らなくても、大人になった時、とてつもなく偉大な体験をしたことを悟るであろう。子供というのはそうしたものである。その頃先生は此世にいられなくても、伝統というものは、そんな風にして伝えられて行く。〉
どろ亀先生の定年退官を待っていたように、招致や講演依頼が殺到する。これに応えて、白洲さんの言葉を借りるなら〈 今までは森の中で朽ちはてていいと思って居た先生も、天国から下界へ降りて来て、本物の環境造り〉に力を貸すことになる。1992年から2000年の8年間は、岩手県北上市立博物館みちのく民俗村の初代村長を務め、故郷に恩返しをした。
白洲さんの随筆から引く。〈 私は先生の談話や書かれたものの断片から、近頃はやりの自然環境の保護とか、動物愛護の会とやらに、全面的には賛成されていないことを知った。ろくに自然と付き合ってみたこともない素人が、ヒステリックな掛声をかけて、無責任な応援をするほど迷惑なことはあるまい。〉
どろ亀先生は、乞われて北海道材木育種協会会長、北方林業会会長、北海道自然保護協会理事などの役職を精力的にこなした。林野の専門家として東大農学部北海道演習林での長年の大規模な天然林施業実験で得た〈 森林が持つ木材生産の経済性と環境保全の公益性を両立・発展させるため〉の森林施業法を研究・発展させた。
特筆すべき功績を挙げるならば、森林施業法の一つに、1958年から開始した天然林を対象とする生態系への配慮から生まれた独特な伐採法による天然林の育成の「林分施業法」がある。
木材が採れる針葉樹を単一樹種で一斉に植えた場合、下草や動物といった生物多様性が乏しくなるだけでなく、間伐や伐採後の再植樹の管理が適切に行なわれないと高齢林になって放置され、病虫害や土砂災害が起きやすくなる。どろ亀先生が確立した林分施業法は、針葉樹と広葉樹を混植することで、林業と生態系維持の両立を図った。
氷雪・雪崩研究者で随筆家の高橋喜平は、実兄、直木賞作家、高橋克彦は甥。
泥亀の鴫に這ひよる夕かな其角
銭亀や青砥もしらぬ山清水蕪村
萍の中に動くや亀の首正岡子規
泥亀も首をすぼめて盆休高澤良一
亀の子の心縮めし如縮む後藤夜半
海亀を捕へて放つ祭あり田中裕明
石と亀ともに動かず冴返る森田 峠
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