作句の現場「蜃気楼」 棚山波朗
珍しい季語に関しては歳時記や辞書などである程度のことを知ることが出来るが、実際に見たり体験したりするのが難しいものがいくつかある。
富山湾の蜃気楼もそのうちの一つ。毎年三月から六月にかけて発生するが、気象条件や時間に影響されるので、実際に目にすることは難しい。私も何度か現地を訪れたが、なかなかその機会に恵まれなかった。
手もとの歳時記によると蜃気楼には「海市」「山市」「かいやぐら」「蜃楼」「蓬莱島」などがあり、解説に「むかしは海中に棲む大蛤の吐く気によるものと言われた」とある。
また地元の資料によると、「加賀藩五代藩主前田綱紀が魚津に宿泊したさい、たまたま蜃気楼を見て吉兆と喜び〝喜見城〟と名付けた」と伝えられている。
私の長年の念願がようやく叶ったのは数年前の春の連休が終る頃だった。帰郷しての途次、時間が出来たので漁津港に立ち寄った。その日の気温はそれほど暑くも寒くもなく、時折弱い風が吹くさわやかな日和であった。
当時地元の人で「蜃気楼の番人」と呼ばれる沼田正春さんを尋ねると「今日はなんとも言えませんね。運が良ければ出るかも知れません」とのことだった。
魚津市の資料によると蜃気楼は立山連峰の雪解水が富山湾に流れ込み、海面上に上暖下冷の気層を作り、これに風が吹いて饅頭型のレンズが出来るのだという。このために対岸の建造物や湾内を横切る舟などが、大きくなったり、形が変わって歪んで見えたりするのである。
防波堤の先端まで行き、釣り人と話をしながら蜃気楼を待ったが一向にれる気配がなかった。諦めて帰ろうとしたとき、遠くの方で盛んに手を振る人がいた。急いでそちらに行くと、じっと双眼鏡を覗いていた人が「蜃気楼がやっと出ました。正面の能登半島の突端のあたりです」と言う。指を指す方を見ると、なるほど今まで見えなかった風景が現れた。一見して船の形をしており、マストのようなものが長く突き出したように見えた。船全体を縦に大きく引き伸ばしたようでもあり、ゆらゆらと陽炎のごとく揺れていた。
左の方に視線を移すと、ここでも海辺の林が大きく盛り上がって見えた。まるで幻想の世界へと迷い込んだような気分である。
蜃気楼が出現すると市役所に連絡するのが沼田さんの役だが、市役所では有線放送や花火で知らせることにしている。
沼田さんは「昭和三十九年からずっと蜃気楼の監視をしていますが、確実に予測するのは難しいですね。花火を打ち上げて人が集まった頃には消えてしまい、人が帰った後に再び出る場合もあり、思うようには行きません」と述懐したのを覚えている。
魚津駅前の観光案内所に電話で問い合わせると、今年は4月6日までに五回現れたと言うことで「春先にしては多い」そうである。
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