韓の俳諧 (2)                           文学博士 本郷民男
─ 千代女の献上俳句(中) ─

 千代女というと、「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」を誰でも知っています。しかし、「朝顔や」という句形もあるのをご存じでしょうか。「に」という句形は既白が編集した『千代尼句集』などにあります。ところが、千代女真筆の「あさがほや」と書いた画賛(『俳人の書画美術四 中興諸家』58図)が残っています。
 俳句は連歌の発句が独立したものです。連歌では前の句と後の句が対になり、両者の対立や緊張関係で、得も言われぬ境地が生まれます。ところが発句は単独です。そこで、発句は切字によって二分し、二重構造と完結性を獲得しました。朝顔やとすると、まず朝顔に目が行きます。それに、釣瓶に朝顔が絡まって水を汲めないという後半が対比されます。「朝顔に」は、たいへん理解しやすい句形ですが、切字がなくて発句とはいえないのです。この点に興味があれば、復本一郎『俳句と川柳』(特に54~62、232~245頁)をご覧願います。
 『古画備考』に「千代女は絵もまたよくす…もとむるに応じて書画をあたへけるゆゑその名海内にきこえける」とあるように、書画にすぐれた美術家でもあったので、1763年に加賀藩から朝鮮通信使への俳句の献上を命じられたのでしょう。表具屋が家業なので、掛け軸六幅と扇15本に21句の俳句を書きました。献上した句を新春から秋まで1枚の紙に書いた控えが残っています。
福わらや塵さへけさのうつくしき
よき事の眼にもあまるや花の春
鶴のあそび雲井にかなふ初日哉
梅か香や鳥は寝させて夜もすがら
鶯やこゑからすとも富士の雪
手折らるゝ花から見ては柳哉
吹け吹けと花によくなし鳳巾(いかのぼり)
見てもとる人には逢す初桜
女子とし押してのほるや山さくら
竹の子やその日のうちに独たち
姫ゆりや明るい事をあちらむき
夕かほやものゝ隠れてうつくしき
唐崎の昼は涼しき雫哉
稲妻のすそをぬらすや水の上
朝かほや起こしたものは花も見ず
名月や眼に置きながら遠ありき
月見にも陰ほしがるや女子たち
初雁や山へくばれば野にたらす
百生(ひゃくなり)やつるひと筋の心より
朝ゝの露にもはげす菊の花
降さしてまた幾所(いずくに)か初しくれ
 ①は、新年の福藁の例句としておなじみでしょう。朝顔の句で述べたように、当時の発句の常識からすると「福わらに」の句形ではいけないのです。「朝顔に」の句が有名になったために、その程度の俳人かという評価になってしまい、千代女にとって不運だったかも知れません。