韓の俳諧 (41)                           文学博士 本郷民男
─ 忘れられた朝鮮公論② ─

 雑誌『朝鮮公論』の大正3年(1914)7月号に、最初の募集俳句が掲載されました。6月号に「公論俳壇新設」として課題句を募集したのを受けたものです。
懸賞募集句 ⦅當選披露⦆
 ▲課題 打水。螢 静軒選
打水に堰せ くや貧しき街の溝 京城 晩人
書見疲れに睡り入る間を水打てり 同  同人
打水や葉隠れ蝶の飛びもあへず 永登浦 仙丸
打水の余り花壇に注ぎけり 京城 無名庵
打水や句会に友の来る夕べ 懐仁 文子
小流れに沿ふて飛び交ふ螢哉 京城 細月
小雨そぼつ青葉の奥の螢哉 同  雄峰
狩りて過ぎし跡を淋しき螢哉 懐仁 文子
闇の夜を一直線に螢哉 同  同人
我が恋に思ひ出多き螢哉 京城 無名庵
浮草にしばし蛍の光かな 同  細月
 ■人  永登浦 仙丸
失恋の女痩せけり初螢
 ■地 京城大和町1丁目39ノ5 佐藤慶治郎
打水に三坪の庭のすがすがし
 ■天 京城市内     江東晩人
寂れ行く街を飛び行く螢哉
(江東晩人仙丸の両氏至急住所氏名御一報を乞ふ)
 入賞には『朝鮮公論』他の賞品がでるのに、住所や氏名を書かずに投句する人もいました。半紙に墨と筆で書いて投句しました。永登浦(ヨンドゥンポ)はソウルの区になり、懐仁(フェイン)はソウルからずっと南東の山村です。
 俳句
◎蚊五句青木静軒
宙を舞ふてばたり蚊の落つ線香哉
宵月の窓に歌人の蚊遣かな
蚊柱や雨待つ雲に軒暗し
貧弱の街や蚊遣のいぶせくて
蚊の声や酔に臥す猛者の高鼾
道すがら

在京城         洗汀子
 鎮南浦府尹を官舎に訪ひて
官舎訪へば雁と鵝と犬と藤の花白ふ
 全北平野にて
ポプラ若葉移民にやトタン家の見ゆ
 全州の旅亭にて
けたたましう聖鐘ポプラ茂りより
 洛東江の放牧
若草に動く尾や洲越し帆も見えて
 同じ7月号に選者の青木静軒の句と、ソウル在住人物の旅行吟が載っています。鎮南浦(チンナムポ)は平壌の南西にあって、大同江(テ ドンガン)の河口を押さえる要衝です。日本人市長が、公邸に住んでいました。全北は全羅北道(チ ョルラブクド)で、西部の平野が穀倉地帯でした。そこの全州(チョンジュ)はビビンバ等の食で有名です。洛東江(ナクトンガン)は半島南部の大河で、釜山に向かいます。